中谷 義明, 今村 好久, 福嶋 安義 日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報, 37(3): 305-305, 2000


Myler:1936-2013)がこの試みに同意してくれます。グリュンツィッヒ先生はスイスから、バルーン付きカテーテルを持参してサンフランシスコに行き、ハンナ先生が行った冠動脈バイパス時に、メイラー先生と共に冠動脈を切開した箇所からバルーン付きカテーテルを挿入し、狭窄している冠動脈を広げました。1977年5月9日のことです。2例に行い、多数の冠動脈狭窄部位を広げました。治療は成功し、エリアス・ハンナ、リチャード・メイラー両医師の名前は、冠動脈疾患治療の歴史に残りました。なお、この「カテーテルを冠動脈切開部から入れて、狭くなっている冠動脈を広げる方法」は後にOTCA(Operative Transluminal Coronary Angioplasty)と称され冠動脈バイパス術を行う時に同時に施行することが流行りました。現在は様々な理由により行われていません。それはともかく、グリュンツィッヒ先生は人間の冠動脈を、手術中ではありますが、広げることに成功したのです。そして、ついに!手術と一緒では無く「カテーテル単独での冠動脈狭窄の治療(=現在のPCIと同じ治療)」を行なうことにしたのです。実はこの時も、前回紹介したグリュンツィッヒ先生のよき理解者である心臓外科医セニング先生に相談したら、「もし、上手くいかなくなって困ることが生じたら、直ぐに手術してあげるよ。頑張れ!」と言われたそうです。この言葉が無ければ、グリュンツィッヒ先生もPCIを行わなかっただろうと述べています。セニング先生は偉いですね。その言葉に勇気を貰ったグリュンツィッヒ先生は1977年9月1日に世界で最初のPCIをチューリッヒ大学病院で行いました。患者さんは37歳男性で、アドルフ・バハマン(Adolph Bachman)という方でした。奇しくも、グリュンツィッヒ先生と同年齢です。くどいようですが、全身麻酔では無く、局所麻酔でバルーン付きカテーテルを用いた冠動脈狭窄部の治療です。今、行われているPCIと同じです。図1図1はその、世界で始めて行われたPCIの画像です。狭い部分が広がっているのがおわかりになりますでしょうか?黄色矢印が狭くなった冠動脈部位を示しています。その狭くなった冠動脈をバルーンで広げています(赤い矢印)。1977年11月にアメリカ心臓病協会でその結果を報告します。発表時には立錐の余地も無いくらいの聴衆が集まり、グリュンツィッヒ先生の発表が終わるとスタンディングオベーションで彼を称えました。冠動脈造影の創始者であるソーンズ先生も涙を流しながら賞賛したと記録されています。グリュンツィッヒ先生は、スイスや母国ドイツで、指導的立場で働く地位(=教授職)を求めましたが、そういう職は得られませんでした。38歳と若かったからです。しかし、米国の多くの大学やクリーブランドクリニックなどの有名病院から招請を受けます。その中で彼が選んだのはジョージア州にあるエモリー大学でした。彼はここで、思う存分働きます。エモリー大学病院では教授となります。グリュンツィッヒ先生は、コカコーラ社から105 million US$の寄付を貰って研究を続け、数多くの論文を書き、カテーテル治療を行い、その指導も行いながらカテーテルの改良(様々な企業で作成するようになっています)や開発を行いました。グリュンツィッヒ先生は冠動脈治療用のバルーン付きカテーテルの特許を取っていました(前回参照)。そのお蔭で、グリュンツィッヒ先生は裕福になります。なお、チューリッヒの自宅キッチンで一緒にカテーテルを作っていた奥さんはアメリカ生活になじめず、スイスに帰ってしまっていたので、若い研修医と2度目の結婚をします。アメリカ全土はもとより世界中で講演やPCIのデモンストレーションなどを行っていました。PCIは世界中にあっという間に広がっていったのです。世界の冠疾患治療を一変させつつあったのです。全米の病院で講演や治療をするのに、飛行機会社を利用しているのは時間のロスだと言って、飛行機を購入して自分で操縦し、全米各地を飛び回っていたのですが、悲劇が1985年11月27日に訪れます。この日、新妻と二人で嵐の中を飛び立った彼の操縦する自家用飛行機はジョージア州の森に墜落し、二人とも帰らぬ人となってしまいました。グリュンツィッヒ先生は46歳でした。もし生きていれば、今年で78歳、一般の方にも知られるような有名人になっていたことと思います。カテーテルの創始者フォルスマン先生はノーベル賞を受賞しています。カテーテル治療の創始者であるドッター先生とグリュンツィッヒ先生も「ノーベル賞」を授賞してもおかしくなかったのです。実際にドッター先生は1978年のノーベル医科生理学賞にノミネートされています。グリュンツィッヒ先生がお亡くなりになった1985年は、カテーテル治療に携わる人にとって呪われた年でした。この年、グリュンツィッヒ先生は46歳で、飛行機事故でドッター先生は65歳で、悪性リンパ腫でソーンズ先生は66歳で、肺がんでジャドキンス先生は63歳で、脳梗塞でお亡くなりになっています。グリュンツィッヒ先生を除いて、皆60代です。新しい治療方法や治療器具、診断器具を考案して広めるように努力するのは、ストレスの多い仕事だったのかもしれません。今もこの4名の方の考案した治療方法、治療器具は世界中で普通に使われています。偉大な先達です。初期のPCIはバルーンのみを用いた方法で、再狭窄率が20-30%ありました。その後、ステント治療(Palmaz-Schatz stent)薬剤溶出ステント薬剤コーティングバルーン冠動脈内近接照射療法ロータブレーター生体吸収性ステントなど、様々な改良がなされ、再狭窄率が10%以下になっています。今も、どんどん改良が進んでいます。しかし、基本は禁煙、高血圧治療、高脂血症治療、糖尿病管理など、以前もお示しした冠疾患の危険因子を減らすことが必要です。注1:最初にPTCAを行われた Adolph Bachmanさんは今も元気だと思われます。お亡くなりになれば、ニュースとして流れると思います。2012年時点では特に心臓には異常なく暮らしていると報道されています。この方とグリュンツィッヒ先生は同年齢です。PCIを行ったグリュンツィッヒ先生がお亡くなりになって、今年で30年です。そう思うと、感慨深いですね。注2:自家用飛行機に関する余計な話一時、世界中で使われるほど普及したある冠動脈バイパス術用の特殊器具を開発した米国の起業家の講演を聞いたことがあります。講演の最後に「ジェット戦闘機の写真」が出てきました。これに乗るのが、私の趣味だと話していました。講演終了後に話を聞いたところ、アメリカでは1億円程度で古い型のジェット戦闘機を購入して、自分で操縦できるのだそうです。うらやましいような、怖いような話でした。【参考文献】Grüntzig A, Hopff H.


心を充電✨ ・ また明日から誠心誠意 頑張ります!✨ ・ # ..

Chrysogenum)という青カビです。実はこのカビは珍しいカビでどこにでもいるようなカビではありません。フレミングの研究室の階下に「菌類学研究室」があり、そこでこの[アオカビ「Penicillium notatum」を育てていた!のです。この研究室では、ある喘息患者の家で生えていたこのアオカビ「Penicillium notatum」を育てていたのです。なぜ?と思われるでしょう。フレミングが勤めていたセントメリー病院の医師が「この患者の喘息の誘因は、この患者の家に生えているアオカビではないか?」と考え、このアオカビをこの「菌類学研究室」で繁殖させて、カビからの抽出物を喘息治療の減感作療法に使っていたのです。このアオカビが大気中に舞い上がり!フレミングのペトリ皿の上に落ちたのです。凄い偶然です。この「菌類学研究室」でこのアオカビを、治療のために、わざわざ繁殖させていなかったら、フレミングのペトリ皿にこのカビは繁殖しなかったでしょう。元はといえば、喘息患者の家にこのカビが生えていて、それが原因の喘息だと考えたこの患者の主治医がいなかったら、そしてこの医師が減感作療法を思いつかなかったら、フレミングのペトリ皿に青カビは、はえなかったでしょう。なお、このアオカビは普通のアオカビではありません。ペニシリンを分泌する能力を持っていたのです!これら一連の偶然だけでも凄いのですが、さらに凄いことがあの年の夏、ロンドンに生じていたのです。多分、お話ししても「え!本当?作り話ではないの?」と思われるようなことが実際におきていたのです。次回に続きます。【参考文献】奇跡の薬―ペニシリンとフレミング神話 グウィン マクファーレン(著), 北村 二朗(訳) 平凡社刊碧素・日本ペニシリン物語 角田房子 著 新潮社刊ペニシリンに賭けた生涯―病理学者フローリーの闘い レナード・ビッケル(著), 中山 善之(訳) 佑学社刊失われてゆく、我々の内なる細菌 マーティン・J・ブレイザー著 みすず書房刊水沢光「第二次世界大戦期における文部省の科学論文題目速報事業および翻訳事業、犬丸秀雄関係文書を基にINK科学史研究』266, 2013年, pp.

Judkins:1922-85)の二人で行われました(文献1及び文末の追記も併せてご参照ください)。患者さんの左足指は動脈硬化が原因で壊死して真っ黒になり、痛みを伴っていました。壊死した部分を放置すると、その周囲は感染を生じやすくなり、感染が原因の敗血症でお亡くなりになることも稀なことではありません。ですから、主治医の外科医は足の切断を彼女に提案していました。その足の写真が図5です。図5左がカテーテル治療前、 右が5ヵ月後です。左図では動脈閉塞により足指が壊死した部分は黒く変色し硬くなっているのがわかります。なんだ、5ヵ月後には、指が無くなっているのではないかと思われるかもしれませんが、左図のような写真の状態だと通常、段々と壊死部位が広がり足関節部くらいまで壊死部が広がることも多いのです。ですから、5ヵ月後に右図のような状態で壊死の進行が止まっているのは凄いことなのです。この治療を行った血管造影が図6です。世界初の血管内の写真です。とても貴重な写真です。図6A:治療前(矢印部分が閉塞しているように見える動脈)B:カテーテル治療直後(閉塞部分が広がっているのがわかります)C:カテーテル治療3週後(閉塞部分は良好に開存しています)この治療終了後、効果は数分で現れ、冷たかった足が温かくなり、最終的に自分の足で歩けるまでに回復したと書かれています(文献1)。手術をしないで治してしまう!外科医からは大きな反発が…この世界初のカテーテルを用いた血管内治療の成功をきっかけに、ドッター先生は多くの方法を開発しました。そのうちのひとつが、一旦広げた動脈内部にコイルスプリングを留置して、動脈が再び詰まるのを防ぐ方法です(文献4)。これが「ステント療法」の原法と言えます(文末にある追記2参照)。なお、ドッター先生の治療がうまく行けば行くほど、手術を要する患者さんが減ってきます。手術をしないで治してしまうので外科医とは敵対します。その証拠が図7です。図7ドッター先生への血管造影の依頼書ですが、そこに太字で“VISUALIZE、 BUT DO NOT TRY TO FIX”と記載されているのがわかりますでしょうか?「造影をしてください。でも治療はしないように!」といったような意味でしょう。ドッター先生の開発した方法はアメリカの外科医の仕事を奪うことになるかもしれないので、外科医からは大きな反発が起こりました。当時、まだ治療法としても未完成で合併症も多く、他の医師がドッター先生の方法を試してもなかなか上手くいかないなど、多くの問題点があったのです。始まったばかりの治療ですから、ある程度は仕方が無かったのだと思います。いずれにせよ、ドッター先生は期せずして、外科医から敵視されるようになり、敵対する外科医から、とうとう“Crazy Charlie”というありがたくないニックネームを付けられます。そして長い間アメリカの医学界から、ドッター先生の方法は無視されてしまいました。しかし、ヨーロッパの放射線科医はドッター先生の治療方法を受け入れて、この方法を「ドッタリング」と呼称するようになりました。それがスイスで循環器内科をしていたドイツ人医師アンドレアス・グルンツィッヒ先生の目にとまり、今日のPCI、PTCAにつながっていきます。【参考文献】Dotter CT, Judkins MP.

中谷弘光*, 中川清昌*, 山本悦秀* *金沢大学大学院医学系研究科がん医科学専攻が ..

で述べた如く、稲垣の予想が当たったのです。稲垣克彦先生の写真です(終戦後、警察病院勤務時代)日本でのペニシリン製造の道を開いた稲垣軍医少佐は、終戦後警察病院で内科医として勤務しています。リウマチの本を書いたりもしていますが、ペニシリンに関しては昭和21年に自らの名前を伏せて「ペニシリン」と題した本を出版しています。筆和会編、日本医書出版社、昭和21年に刊行されています。しかし、以後はペニシリンに関することからは一切、手を引いています。この辺りの出処進退も潔いですね。警察病院を退官後は日本橋で開業し、2004年2月4日、92歳でその生涯を終えています。今はほとんど知る人もいないのですが、偉大な生涯でした。再三、書きますが、キーゼの総説がドイツから届き、彼がそれを読み解いて1年余でペニシリンを作り上げられたのは、彼の指導力の賜物だと思います。医学、薬学、農学、理学、その他、色々なところに目を配り、日本の科学の総力を結集したからこそ戦中戦後の大変な時期にも関わらず短期間に偉大な成果が得られたのだと思います。日本製ペニシリン「碧素」の話はこれにて結びとさせていただきます。参考までに:ペニシリン委員会の主立ったメンバーは後に、抗生物質、抗癌剤の分野で活躍します。その代表が、梅沢浜夫です。梅沢はカナマイシン、ブレオマイシンの発見により、世界中で広く知られています。先般、大村智先生が抗寄生虫薬である「イベルメクチン」の発見に対する業績でノーベル賞を受賞しましたが、イベルメクチンは土壌細菌である放線菌が作る物質です。日本でのこういう研究の「元」は「ペニシリン委員会」だったのだと思います。現在、平和な日本で、こういう日本の科学力を結集した研究をしようとしても、簡単には進みません。戦時ならではのことだったと思います。【参考文献】奇跡の薬―ペニシリンとフレミング神話 グウィン マクファーレン(著), 北村 二朗(訳) 平凡社刊碧素・日本ペニシリン物語 角田房子(著) 新潮社刊内容が濃い、凄い本です。是非、新潮新書または新潮文庫で再刊して欲しいですね。ペニシリンに賭けた生涯―病理学者フローリーの闘い レナード・ビッケル(著), 中山 善之(訳) 佑学社刊失われてゆく、我々の内なる細菌 マーティン・J・ブレイザー(著) みすず書房刊水沢光「第二次世界大戦期における文部省の科学論文題目速報事業および翻訳事業:犬丸秀雄関係文書を基にINK科学史研究』266, 2013年, pp.

2救命): 第15回日本急性血液浄化学会 (2004/9/17-18), 名古屋.

722050. [学会 (全国)] (シンポジウム) 小児固形腫瘍の病態解明 12トリソミーを伴う高2倍性ウイルムス腫瘍の生物学的特徴.

クエン酸シルデナフィル(バイアグラ)服用後に発症した血小板減少性紫斑病の1例.

Kesselheim)は、2010年のNew England Journal of Medicine誌上で警告を発していましたが(参考文献6)、効き目は無かったようです。(2)ピリメタミンの値上げを行ったのは Turing Pharmaceuticals社 です。この会社の経営者は、まだ年若いマーティン・シュクレリ(Martin Shkreli:1983-)氏です。ほかのお薬でも同様なことを数多く行っています。このような手口の商売を非難する人々に対して、シュクレリ氏は、“If there was a company that was selling an Aston Martin at the price of a bicycle, and we buy that company and we ask to charge Toyota prices, I don't think that that should be a crime.”訳)アストンマーティンを自転車の値段で売っている企業があるなら、我々がその企業を買収して、トヨタの値段でアストンマーティンを売る。それが犯罪とは思わないと言ったものです。つまり、本来なら高額で売るべきアストンマーティン(=ピリメタミン)をトヨタ値段で売っているのだから、良いだろうと言っているのです。なんだかトヨタが馬鹿にされているようで嫌な感じですね。車に興味が無い方のために申し添えると、アストンマーティン社はイギリスのスポーツカーメーカーで、1番安価な車でも2,000万円します。007のボンドカーのほとんどはアストンマーティン社の車ですね。それはともかく、余計なことを言ったマーティン・シュクレリ氏には、“The Most Hated Man in America.(アメリカで一番嫌われている人間)”という不名誉な称号が与えられています。なお、シュクレリ氏はお薬の販売とは別件の詐欺容疑で、FBIに逮捕され、裁判中でしたが、冒頭でも紹介したように、“ついに禁固刑「米国で最も憎まれる男」に禁錮7年 証券詐欺で”という報道が2018年3月10日のAFPで報道されています。でもお薬の値段をつり上げたことでは捕まったわけではありません。そちらは「合法」だからです。さて、色々と紹介してきました。さすがの資本主義国家アメリカでもこのような「商売」は尊敬されていません。しかし、法律に違反しているわけでは無いというのが、「薬を法外に値上げしている」彼らの言い分です。マスコミや政府がいくら値段を下げろと言っても聞く耳は持たず、とどのつまり値段はあまり下がっていません。日本なら、厚労省が薬価を決めるのでこのような「非道」なお薬の値上げはあり得ないですね。前回、今回と、国内外の薬のお話をご紹介し、薬の値段を考えてみました。如何だったでしょうか?最後になりますが、前回の冒頭で「モノの値段」は、「売り手良し 買い手良し」で決まると書きました。この言葉は、もう一つの成句「世間良し」が加わることで完成します。「売り手良し 買い手良し 世間良し」という言葉です。「三方良し」とも言われます。この言葉は、商売上手で有名な近江商人の間で使われていました。近江商人の中村治兵衛が70歳の時に幼い跡継ぎに遺言として残した家訓「宗次郎幼主書置(かきおき)」全11条の一節です(参考文献7)。商売繁盛を願うなら「売り手、買い手」の満足だけではなく、世間様への貢献(=社会への貢献)も必要だと説いているのです。今日のCSR(corporate social responsibility:企業の社会的責任)という言葉ができるより遙か昔の江戸時代に、CSRを先取りした商売哲学を説いていたのです。「世間良し」って良い言葉ですね。古い薬で「売り手」しか満足しないような“あこぎ”な商売をやっている人々に聞かせたいものですね。【参考文献】Heribert Konzett (1941).

J Pediatr Endocrinol metab, 16 (S.4): 939, 2003.

722062. [学会 (全国)] (シンポジウム) 今, できることを考える=神奈川・横浜における小児救急医療体制の試みを中心として=.

読んでいて、心が優しくなってくるような気がします。 続きが気になります。 2 ..

日臨細胞会誌, 42 (S1): 88, 2003.

722066. [学会 (全国)] (シンポジウム) 内膜細胞診の評価基準の統一を目指して-子宮内膜増殖症を中心とした子宮内膜細胞診の評価基準-.

OGURA 1967年イチョウ精子発見の歴史及びその意義について解説した論文です。イチョウ精子発見者平瀬作五郎:その業績と周辺 法政大学生命科学部教授・東京大学名誉教授 長田敏行(公益社団法人 日本植物学会)平瀬作五郎のこと、銀杏の精子発見のことなどが詳述されています。興味がある方は必読です。「種子の中の海 イチョウの精子と植物の生殖進化」東京シネマ新社必見です。イチョウの種子内で精子が泳ぐ姿が鮮明に撮影されています。コケ植物の精子についての動画(NHK)MARRIED LOVE OR LOVE IN MARRIAGE:BY MARIE CARMICHAEL STOPES, Ph.Dデジタルライブラリーに所蔵され、誰でも読むことができます。12 Books That Changed The World: by Melvyn Bragg.


心を虜にできる。 第1章 ワルはこうして人の心をつかむ(こうすれば相手は勝手に ..

田中 聡, 宇津木 聡, 岩本和久, 佐藤澄人, 岡 秀宏, 藤井清孝 (脳外): 第8回日本脳腫瘍の外科学会 (2003/11/8), 沖縄.

722061. [学会 (全国)] (シンポジウム) リアルタイムRT-PCRによるグリオーマにおける薬剤耐性遺伝子発現の検討とIndivisual sdjuvant therapy (IAT).

心に響け、子守歌 イルカ∥著. 幸せをありがとう 原/ひさ子∥著. 戦争を拒否 ..

全身性の浮腫の原因心原性浮腫:心臓が原因腎性浮腫:腎機能低下による内分泌性浮腫:甲状腺機能低下症などによる肝性浮腫:肝機能障害の末期に生じる栄養障害性浮腫:ビタミンB1欠乏(=脚気)や低栄養など薬剤性浮腫:お薬が原因でむくみが生じることがあるB.局所性浮腫の原因血管性浮腫:静脈瘤などが原因クインケ浮腫:唇や眼瞼が腫れる炎症性浮腫:けが、やけど、リウマチ麻痺性浮腫:脳梗塞などで動けなくなる部位が生じるとその部がむくむ以上、さまざまな原因で体がむくみます。ウィザリング医師の時代には、こういうことが全く解っていなかったのです。今、お示ししたように「浮腫=水腫」はさまざまです。このなかでもジギタリスが効くのはたった一つです。そうです、「心原性浮腫」にしか効きません。そもそも「水腫」の原因がわからなかったので、Dropsy(水腫)があると「ジギタリス」が投与されていたのです。効く人は心臓に原因があるDropsy(水腫)だけでした。今から思うと、ひどい話です。その後、心臓病学が発達します。大きい出来事が4つあります。聴診器の発明:1816年にフランス人医師ラエネックが発明します。聴診器により、心雑音、呼吸音がわかり、心臓病学が飛躍的に発展します。X線の発見:1895年ドイツ人医師レントゲンが発見します。全身がむくむような心臓病の患者さんは心臓が大きい(心肥大)ことが解りました。心電図の発明:オランダ人医師、アイントホーフェンが1903年に発表、発明しています。心臓の刺激伝導系の発見:1906年、日本人医師「田原淳:たわらすなお」により、心臓には電気を伝達する「刺激伝導系(しげきでんどうけい)」があることが示されました。このような心臓病に関する大きな発見、発明があり、「心臓病が進行してくるとDropsy(水腫)を生じること」がわかるようになりました。英国、フランス、ドイツ、オランダの医師に交じって日本の田原淳先生の大発見も貢献しているのが少し誇らしいですね(田原先生のことは以前にも紹介しました)。1.の「聴診器の発明」により、弁膜症や心臓に孔が開いている病気、心不全の時の心臓の音が解るようになりました。心不全の時には、呼吸の音も変わります。今でも聴診器は役に立っています。2.の「X線の発見」は、医学の歴史上の大発見です。心不全になると、(1)心臓が大きくなること、(2)肺に水がたまることが解りました。3.4.の「心電図と刺激伝導系の発見」が相まって、(1)心臓がどのように動くのか、(2)心臓のはたらきが悪くなると心電図はどう変化するか、なども詳細に解ってきたのです。心電図でジギタリスの効果判定もできるようになりました。具体的に言うと、ジギタリスを服用すると、心電図に以下のような変化が現れるのです。(1)ST盆状降下 (2)PQ時間延長 (3)QT時間短縮図2:ジキリタスによる心電図の変化ジギタリス投与中の患者さんの心電図にこういう特徴が現れたら、それは「ジギタリスが効いている」証拠なのです。ジギタリスは中毒量になると、房室ブロック、脚ブロックなどを生じます。そういう所見が出たらジギタリス投与は中止です。心電図のお蔭で、ジギタリスの効果判定が容易になり、どうやら「猫単位」は不要になりました。つまり、以上のような研究が進み、「心臓が原因以外のDropsy(水腫)にはジギタリスは効かない」ことが解り、随分と治療が変わりました。ジギタリスの葉っぱのうち、何が効いているのか?一方、ジギタリスの葉っぱのうち、何が効いているのかの研究も進みます。それを発見したのはフランスの薬理学者ナティベユ(Claude Adolphe Nativelle)です。彼はジギタリスの葉っぱから、純粋な活性成分の結晶の分離に成功します。この成分はジギトキシン(digitoxin)と名付けられます。このdigitoxinはウィザリング医師が用いた「キツネノテブクロ、英語=foxgloveラテン名=Digitalis purpurea」の葉っぱから抽出されました。しかし現在、ジギトキシンは使用されていません。ジギトキシンよりも作用が強いジゴキシンが発見されたからです。ジゴキシンは「ケジギタリス:woolly foxglove:Digitalis lanata」というジギタリスの近縁種から見つかった成分です。ケジギタリスの「ケ」は「毛」です。綿毛が茎や花より目立つので「毛」がついています。写真:ケジギタリス Digitalis lanata確かに花の周りに綿毛が見えますジギトキシンは、日本では2005年から販売が中止されていて、日本薬局方からも消失しそうです。現在、日本で使用できるジギタリス製剤は「ケジギタリス」から抽出されたジゴキシンとメチルジゴキシンの2種類だけです。ところが、ジギトキシンが手に入らなくなったことで、ジギタリス中毒が一時増えました。背景は、次の通りです。「使用できるジゴキシン」は、腎臓から排泄されます。一方、「(廃止された)ジギトキシン」は、肝臓で代謝されます。腎機能が悪い方には「ジギトキシン」投与が一般的でしたが、ジギトキシンが販売中止となり、腎機能が悪い方にもジゴキシンが投与された結果、ジゴキシン中毒になる方が多発したのです。腎機能が低下している患者さんに対するジゴキシン投与には注意が必要です(用量を抑えて、血中濃度を測定しながら投与すれば中毒が生じることは稀です)。ジギタリスが心不全患者さんに効くかどうかという研究は、今でも継続されています。古くて新しい課題です。なかでも有名なのが、1991年から3年をかけて北米で行われた「Digitalis Investigation Group Trail(DIG traial)」という研究です。心不全治療にジギタリスを使った群と使わない群で比較しています。その結果、全死亡率と心臓血管病による死亡率では両群で差は無く、入院率、症状の悪化はジゴキシン投与群で良好でした。つまり死亡率に差は無くても、少なくともQOLはジゴキシンで改善しそうです。また、この研究ではそれまでの常識が覆るような大発見がありました。「ジゴキシンの血中濃度が、たとえ治療域に入っていても、高いほど死亡率が高いこと」が解ったのです。治療域のジゴキシン血中濃度は0.5-2.0ng/mlとされています。2.0ng/mlを越えるとジギタリス中毒症状が出る恐れがあります。この「DIG traial」で解った血中ジゴキシン濃度と死亡率の関係を示します。血中濃度死亡率1.

[PDF] 抗 HIV 薬の薬剤変更状況調査 (2004 年)

藤井清孝 (脳外): 第62回日本脳神経外科学会総会 (2003/10/2), 仙台.

722052. [学会 (全国)] (シンポジウム) 頭蓋底腫瘍手術におけるアースロケアマルチエレクトロードシステム2000の有用性.

心血管系・脂質代謝への影響, 性差と医療, Vol.3, No.7, 735-740, 2006年6月 ..

鈴木祥生, 山田 勝, 藤井清孝 (脳外): The 2nd Korean-Japaneses Joint Stroke Conference (2004/11/28), 東京.

722042. [学会 (全国)] (シンポジウム) 頭蓋内germinomaにおける病理組織像と腫瘍の治療反応性との関係.

斉藤優子1, 長野由紀子, 長野則之2, 兼子謙一3, 中野竜一3, 岡本了一3 ..

査読者3.の先生はコメントに「this paper from Japan is excellent」と記してくれました。私は狂喜乱舞しました。苦労して一生懸命書いた甲斐がありました。これは、私の人生の中でも嬉しかったことの上位5つに入ります。ともかく3名の査読者への回答を練りに練って書き、査読者への助言に沿って論文を書き直し、私の論文は無事に胸部心臓外科領域では一流雑誌である“The Annals of Thoracic Surgery”へ掲載されました(文献1)。雑誌と別刷りが送られてきたときは「夢か」と思いました。しかも、この論文掲載がご縁で心臓外科の教科書(「心臓外科」新井達太編、医学書院刊)の「心臓腫瘍の項」を書かせていただくことにもなりました。そして、もっと凄いことが私の知らないところで起きていました。なんと朝倉書店の「内科学」の教科書の「心臓腫瘍」の項に、この論文が2版に渡って引用されたのです。これを教えてくれたのは医学部の学生さんでした。「もしかして、この教科書に引用されている“Mochizuki Y”で始まる論文は、望月先生の論文ですか?」と聞かれたのです。本当に嬉しかったです。私は内科の教科書に論文が引用されていることを知らなかったからです。この教科書の「心臓腫瘍」の項は、筑波大学の山口巌先生の執筆でした。山口先生は著名な先生ですが、私は面識がありませんでした。ですから、純粋に私の論文を読んで引用して下さったのです。望外の幸せでした。内科を専門とする同僚の先生方からとても羨ましがられました。写真1:教科書の表紙です写真2:教科書の中の文章ですこの論文を読んだ本家本元(Carney complex の提唱者)のCarney先生から、論文の別刷り送付依頼の手紙がきました。ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスの先生からも別刷りの送付依頼の手紙をいただきました。その上、この論文を書いてから10年後にアメリカのCornell大学内科のVeugelers先生から、世界中の「Carney complex型の心臓粘液腫」の遺伝子解析研究にお誘いを受けて協同研究をさせていただき、その論文は「Proceedings of the National Academy of Sciences(米国科学アカデミー紀要)」にも掲載されました。勿論、私の名前もこの論文のauthorのひとりになっています(文献2、余話4を参照ください)。また、この論文を書いたが為に、American journal of cardiologyなどの雑誌から心臓腫瘍に関する「査読依頼」もいただくようになりました。私が初めて投稿した英文論文は、私が医師になった当時の目標のうち英文論文を良い雑誌の載せること教科書を書くこと教科書に載るような論文を書くことの3つを実現させてしまいまいした。一粒で3回美味しい論文でした。あの「バイク便」を思いつかなければ無かった論文です。そう思うと、冷や汗がでます。臨床現場では、珍しい病気に出会わないままに過ぎてしまう医師も多いのですが、私は良い時期(インターロイキンー6が見つかった後)に珍しい症例に出会い幸運でした。とにかく、この論文を書いた事で、英文論文を書く自分なりの「方法論」を作ったのです。その後もいくつか、英文論文は書きましたが、The Annals of Thoracic Surgeryにはなかなか掲載されませんでした。初めて書いた英文論文が、The Annals of Thoracic Surgeryに載ったのは、僥倖でした。よく「宝くじは買わないと当選しない」と冗談で言われますが、「論文は書かないと載らない」ですね。そして、どうせ書くなら英文論文の方が良いですね。【参考文献】Mochizuki Y, Okamura Y, Iida H, Mori H, Shimada K.“Interleukin-6 and "complex" cardiac myxoma.”Ann Thorac Surg.

健常者に対するクエン酸シルデナフィル (バイアグラ) の心機能, 冠動脈血流への ..

Judkins, 先生です(1922-85)。“あの”と敢えて記しますが、あの「ジャドキンスカテーテル」の考案者です。ジャドキンスカテーテルは、冠動脈造影用カテーテルです。世界中で広く使われています。その名を知らない循環器内科医はいないでしょう。このカテーテルには右冠動脈用と左冠動脈用の二種類があります。左右冠動脈の形にあわせて作られています。このカテーテルを使うとほとんどの患者さんで安全且つ容易に冠動脈造影ができます。以前、クリーブランドクリニックのソーンズ先生が冠動脈造影法の創始者であることを紹介しました。ソーンズ先生の考案したソーンズカテーテルは、やや難しいテクニックを用いないと冠動脈造影ができません。しかし、ジャドキンスカテーテルはあまりそういった「テクニック」を要しないで冠動脈造影できる素晴らしいカテーテルです。ジャドキンス先生はこのカテーテルに特許を取りませんでした。「このカテーテルに特許が無ければ、私の考案したカテーテルは誰でも作れる。そうすれば、このカテーテルが世界中に広がって安全に冠動脈検査ができるようになるだろう、そのことが一番大切だ」と述べています。ジャドキンス先生の予言通りになり、世界中でジャドキンスカテーテルは“標準使用”されるようになっています。とても良い話です。そのジャドキンス先生ですが、大阪で働いていたことがあります。元は泌尿器科医で米国陸軍病院の医師として、1945-6年日本で働いていたのです。帰国後、家庭医として活躍後、放射線科医を志し、そこでカテーテル治療の創始者であるドッター先生と出会い、歴史に残る「ジャドキンスカテーテル」を考案したのです。日本で働いていたことがあると思うと、少し身近に感じます。追記2:「ステント」は、ロンドンで開業していたイギリス人歯科医のチャールズ・ステント(Charles Thomas Stent:1807-1885)の名前に由来します。ステント先生が歯科治療用に考案した器具の商標が「STENT」でした。この「STENT」は中空の金属製の管です。現在血管治療に使われている「ステント」に形状が似ている治療器具(金属製の管)なので、なんとなく「STENT」と呼称されていますが、本来、心臓や血管とは無関係です。泉下のCharles Stent先生は毎日、その名を世界中の病院で呼ばれてビックリしているのでは…追記3:参考文献2の Texas Heart Institute Journal は心臓病治療で世界的に有名なテキサス心臓病センターが出している雑誌です。先進的な心臓病治療の論文が載ることでも有名です。私も2回、同雑誌に論文を掲載してもらいました。良い思い出です。Left common carotid artery cannulation for type A aortic dissections.