1/32 P-39/P-400 エアコブラ「米軍・オーストラリア」 デカール


1. 米国人はこの飛行機があまり気に入らなかった。ベルP-39戦闘機「エアラコブラ」は、高い高度で本領を発揮できず、「空飛ぶ要塞」B-17大型爆撃機に同行したり、主に西部戦線でドイツ空軍のエースと戦ったりするのに適さなかった。西側の連合国はエアラコブラを手放すことを厭わず、武器貸与法の一環でこれをソ連に大量供給した。ソ連空軍は合わせて5000機近いP-39を手に入れた。これは製造された全機数の半分以上に当たる。


ミリタリー雑誌 世界の傑作機 No.36 ベルP-39エアコブラ

P-39戦闘機「エアラコブラ」の前に立ている第101戦闘機航空連隊のパイロットたち

2. ソ連ではP-39は全く逆の扱いを受けた。東部戦線に特徴的だった低・中高度での空中戦では、この戦闘機はかけがえのないものだった。エンジンがコックピットの後ろにあるという特殊な構造により、同機は機動性、速度、空気力学的特徴、視界に優れていた。一方で、安定性と操作性には難点があり、一つミスを犯せば錐揉み降下の状態に陥ってしまった。エアラコブラは初心者には扱えない、熟練パイロット向きの飛行機だった。

ミリタリー雑誌 世界の傑作機 No.36 ベルP-39エアコブラ · 商品詳細情報 · 備考 · 商品情報の訂正 · 商品レビュー

エアラコブラは、ぬかるんだり雪が積もったりした飛行場でも問題なく着陸・滑走できた。

5. エアラコブラは、ぬかるんだり雪が積もったりした飛行場でも問題なく着陸・滑走できた。これは西部戦線や太平洋では大した意味を持たなかったろうが、気候の厳しいソ連では大きな利点だった。ただ、P-39のアリソンV-1710エンジンはロシアの極寒に適さず、しばしば故障した。ソ連の専門家らの要請でベル社が行ったエンジンの改良により、状況は良くなった。

ベル(Bell) P-39 エアラコブラ(Airacobra)戦闘機:鳥飼行博研究室

6. 細かい点ではドアが問題だった。エアラコブラのドアは自動車のドアのようで、パイロットが地上で飛行機に乗り込むには便利だが、空中で緊急脱出した際にパイロットが尾翼に打ち付けられる危険性があった。このためソ連のパイロットは、飛行機が損傷を受けてもできるだけ長くとどまり、滑走路に到達しようと試みるのだった。ちなみにP-39は耐久性に優れていたため、その成功率は高かった。完膚なきまでに蜂の巣にされたエアラコブラが戦場から無事に戻ってくることも稀ではなかった。

7. エアラコブラは、北極圏からコーカサス地方まで、独ソ戦のあらゆる戦線で戦った。1943年4月~6月のクバン上空での航空戦でソビエト空軍はドイツ空軍に対して初めて大勝利を収めたが、これにはP-39が大きく貢献した。なお、この戦闘では両軍から2000機以上の飛行機が参加した。

アメリカの第二次世界大戦戦闘機ベルP-39エアコブラ .3ds .c4d .fbx .ma .obj .max

8. 1942年9月9日、ムルマンスク地方において、エフィム・クリヴォシェエフ親衛中尉がエアラコブラに乗って史上初めて空中で体当たりを行った。弾を撃ち尽くした彼は、自分の指揮官パーヴェル・クタホフの飛行機にメッサーシュミットが追尾しているのを見た。彼は躊躇なく敵戦闘機に突っ込み、自分の命を犠牲にして仲間を救った。

9. 扱いが難しいが効果抜群のP-39は、精鋭中の精鋭に与えられ、主に親衛隊の部隊に配備された。アレクサンドル・ポクルィシキン、グリゴリー・レチカロフ、アレクサンドル・クルボフ、ニコライ・グラエフ、ドミトリー・グリンカとボリス・グリンカの兄弟など、ソ連の名だたるエースパイロットがこの米国製戦闘機に乗っていた。ポクルィシキンは、敵機59機を撃墜して連合軍の戦闘機パイロットの中で2番目の成績を誇ったが、うち48機をP-39に乗って仕留めていた。レチカロフも56機中50機をこの戦闘機で撃ち落とした。大戦末期には速度と機動性がより優れた飛行機がソビエト空軍に登場したが、多くのソ連軍パイロットは自分たちを決して裏切らないエアラコブラに乗り続けた。


アメリカの第二次世界大戦戦闘機ベルP-39エアコブラ 3Dモデル

ベル社が1937年に開発を始めたP39は、液冷エンジンを機体中央に配置したミッドシップ形式で、操縦席の下に延長軸を通して機首のプロペラを回すという斬新なスタイルを選択した。ロッキード社のP38と同時期に高高度迎撃戦闘機として開発がスタートし、排気タービンを備えたV1710系列の液冷エンジンを搭載している点も同じだった。エンジンをミッドシップとすることで、機首を細く絞り込んだ空力的に優れたフォルムとしたほか、操縦席前の空いたスペースに25ミリ機関砲(後に37ミリ機関砲に換装)を納めた重武装も特長だった。
ただ、斬新さが災いして試作機の完成が遅れ、その間にP38の開発が進んでしまい、P39は排気タービンを外して中低高度用戦闘機に用途が変更されることになった。40年に完成した中低高度用の試作機は、高度4570メートルで時速603キロの最高速度を記録、上昇力も十分だった。ところが、量産型では防弾装甲と武装を追加したことから重量が増加し、運動性も低下してしまった。ミッドシップ型の機体特性が通常の戦闘機と異なることから、操縦に慣れるまで時間が掛かり、パイロットの評判も悪かった。太平洋戦争が始まると、軽快な日本軍戦闘機にカモにされ、まともな働きができないまま、第一線を退くことになった(米空軍提供) 【時事通信社】

傑作を適切に準備する方法。別の角度から見たP-39 エアラコブラ

FMSの 用交換スピナーです。
P-39エアコブラ イエロータイプは4枚ブレードプロペラですが、こちらのHells Bellsタイプは3枚ブレードプロペラなのでイエロータイプとの互換性はありません。

零式艦上戦闘機(57) P-39エアコブラ ミッドシップ戦闘機

「P39エアコブラ」は15件の商品が出品がされています。
オークファンでは「P39エアコブラ」の販売状況、相場価格、価格変動の推移などの商品情報をご確認いただけます。

海外通販で買ったP-39エアコブラ ラジコン飛行機を飛ばしてみた

そして三車輪式のメリットは他にもあり、着陸時に2輪を接地させれば自然に機首が下がり、「着陸が安全で簡単」で、しかも足とられにくく、グラウンドループの恐れもなく、逆立ちしないP-39は「泥の滑走路に適する」としています。「P-40は三点着陸をしなればならなかった」とも言っていますので、ソ連ではP-40を零戦と同じように三点着陸させていたようです。着陸が楽、これは評判の良い戦闘機の条件です。

P-39 エアコブラ/Hells Bells用スピナー /64A4A

軍用車両や軍用機、軍用艦などが実際に運用されている現場での貴重な記録写真などを集めて掲載するのが「イン・アクション」シリーズです。
メーカーや博物館などの所蔵写真ばかりでなく、個人が所有する記録写真などからもセレクト。
ライブ感あふれる写真の数々はモデラーの製作のヒントにもしていただけることでしょう。
この巻では第二次世界大戦末期に登場したアメリカ軍のミッドシップエンジンレイアウトを採用したユニークな戦闘機、ベルP-39エアコブラを取り上げて紹介しています。
ベル社によって開発されたP-39はコクピットの後ろ、機体の中央部にエンジンを搭載する独特のレイアウトを採用していたのが特徴でした。
本書では当時の貴重な記録写真を数多く収録、その開発過程から生産の様子はもちろん、実戦配備されて運用されている状況の写真など、各タイプごとにわかりやすく紹介しています。
また、モデラーにはカラーリングの参考にしていただけるカラープロファイルも収録。
アメリカでの評価はいまひとつでしたが、供与機を運用したソビエト軍パイロットには評価が高かったといわれるP-39のリアルな写真資料集です。
各写真には英語の解説が添えられています。

■サイズ:280mm x 210mm
■ページ数:8 0ページ
■英語版
■写真:170点
■カラープロファイル:12点以上
■ソフトカバー版

P-39 エアコブラ ホイール & 前脚柱 (アカデミー用) (プラモデル)

『1/72 三菱9試単座戦闘機 零戦21型(スケールアヴィエーション付録)1/72 P39エアコブラ 英軍仕様 完成品3機セット』はYahoo!オークション(旧ヤフオク!)でO_-Eit_ywUdsEから出品され、24の入札を集めて4月 29日 22時 06分に落札されました。決済方法はYahoo!かんたん決済に対応。栃木県からの発送料は出品者(O_-Eit_ywUdsE)が負担しました。PRオプションはYahoo!かんたん決済、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、送料無料でした。

P-39 エアコブラ「ベラ」 デュアルコンボ リミテッドエディション

第二次世界大戦初期に活躍したアメリカ陸軍の単発レシプロ戦闘機。
かの有名な攻撃ヘリAH-1コブラなどを手掛けた(現在はテキストロンに買収されたが、ベル・ヘリコプターは存続している)航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の記念すべき第一作である。
設計は珍しく、胴体中央にエンジンを置き、プロペラの軸を通った大口径機関砲を機首に装備した。これは主に機関砲の安定性を保つための仕組みであったが、エンジンを中央に置くことで運動性も向上すると見込まれた。また、米国の戦闘機では初めての前輪式降着装置を備えたため離着陸時の視界も従来の戦闘機と比べて良好だった。

実用型ではを外されのため(高高度用には通常、二段二速過給器型を搭載する)高高度性能が貧弱で、英国に輸出された機体は期待はずれの性能により、※要約「カタログスペックに満たないしハリケーンより劣るんですけど・・・」と散々な評価をされた、太平洋戦線では米陸軍やオーストラリア軍に配備されたP-39、P-400が日本海軍の零戦と戦ったが、中高度性能、特に加速性が零戦には遠く及ばなかった事から、零戦や隼から絶好のカモにされ、その形状からか「カツオブシ」とバカにされてしまう始末、少し使用されただけで1941年12月から4,773機をソ連へのレンドリースに回されてしまった。だが、この散々な蛇ちゃんはソ連では大変好評だったようで・・・

ブランド: WW2 Fighter Planes & P39 Airacobra Gifts

☆ロートレーさま
こんばんは〜エアラコブラ、最初から軍事機密の排気タービンエンジンを搭載していればもっと違った運命を辿っていたかもしれません。P-63キングコブラと共に数奇な運命を辿りましたね(^^)