キングやナット類といった小物まで、整備用部品が何個ずつ必要かという点まで検討が行
年にトライアスロンデビューから,自然とロング志向に傾き年には佐渡で
初ロングを完走し,年には,でデビューを果
たした.翌年琵琶湖でのを獲得したものの,では完膚なきまでに叩きのめされた.
歳のカテゴリーで位人というリザルトは記憶から消えることはない.
世界標準を思い知らされ,に挑戦しようという意欲すら奪われたのである.そ
の後,年の充電期間の後に,に再び挑戦しようという気持ちなった.
年を最後に琵琶湖は幕を閉じたが,年からは長崎五島で新たなが始まっていて,の再挑戦は長崎五島の地であった.幸運にも
年から年までは,長崎五島でを獲得することができた.
年,口蹄疫の影響でが中止になり,再び日本からが消
えてしまい,この年,代替予選としてあてがわれた大会でのを獲
得した.翌年,として選んだもまた,大会直前に中止と
なり,この年もまた,代替えで参加したでを獲得できた.この年,なんと
かで大会開催されたが,年はとうとうアジアから(フルディスタンス)
が消えてしまった.この状況を見越して,年月の,年月のにチャレンジしていたが,いずれも
失敗してしまっていた.
毎週のように家族サービスを放棄してトレーニングにあて,その代替えとしてハワイ
旅行を家族と約束していたが,が取れないとその約束を守れないことになる.
の後,今年の出場を諦めかけていた時,妻が「が
まだ申込みできる」と調べてきてくれた.度締め切ったが,追加募集をしていた.
迷うことなくエントリーした.最後のチャンスを与えてくれた,妻に感謝し,なにがなん
でも取ってくることを決意した.
他の選手の実力が分からない海外の試合と違って,日本での開催となれば,力の
知れたメンバーも多い.月初旬のケアンズでできなかった,の常連
である.さんもスタートリストに名を連ね,彼が最大のライバルになると覚悟した.
梅雨時期のレースは,天候が心配であるが,雨の心配はなさそうである.ウェットな
路面は落車の危険があり勘弁願いたい.バトルを避けるためか,ドラフティングを避
けるためか,スタートのウェーブがかなり細かく分けられていた.我々歳は,
第ウェーブで先頭からは分後だ.同行した筑波大学の大学院生は,分前に
スタートすることになり,この距離だと間違ってもレースで遭遇しないと思った.
スイムは,ワンウェイのコースでから約位歩いてスタート地点に向かった.
ウェーブスタート故,かなり待たされたが,第ウェーブの入水が許可されると私は番に入水しスタート場所を確保した.予想通り,さんも最前列に並び,互いの健闘
を誓った.
号砲と共にスタートするが,歳の名程度では心配したバトルはなかった.
さんが快調に飛ばすが,こちらも後ろから無理なくついていく.しばらくすると,さ
んのペースが落ち,私が前にでた.ランの走力が勝るさんから,ランスタート時点
で少なくても分,いや分のアドバンテージが欲しい.スイムで分でも差をつけ
られれば御の字だ.目標の黄色いブイを目指して泳いでいると,さんが視界から
遠ざかっていくのが分かった.「コースミスをしているよ」と教えたかったが,泳いでい
る最中なのでかなわない.
分前にスタートした歳カテゴリーの後方集団に追いついたころから,さん
を見失ってしまった.結構な差をつけたかなと思いながら,上陸しエリアにはいっ
て行くと,なんとさんは前にいた.コースミスをしていたのは自分の方だったと気づ
いた.
ランが速いさんはトランジットエリア内も速い.素早くウェットスーツを脱ぎ,全力で
内を走って,なんとかさんより前で乗車することができた.バイクで大きな差を
つけたい私と,私との差が大きくなければよいさんの意地の張り合いが始まった(
少なくとも私はそう思っていた).狭く粗い漁港道路も,直角カーブも,上りも飛ばし
たが,なかなか離れない.半ば諦めていたころの地点位の折り返しで少し離
れているのが分かった.このまま順調にバイクフィニッシュまでトップで行けばよいと
思った.しかしこれが油断の始まりだった.バイク中は,
前にスタートしたグループを抜いていくだけだったので,後ろから抜かれた時に「あ
れっ」と思った.さんとウェアに書いてあったが,ゼッケンの色はグリーンだ.目を
疑ったが,自分のゼッケンもグリーンだ.同じエイジに(知らない人の中にも)速い人
もいるものだと感心しながら,食らいついた.しばらくして,更に勢いのある輩が抜い
ていった.後でさんと知った.加えて,メルボルンでできなかったさんも追
いついてきた.この時点で,今回のバイクも(もバイクが遅く,今年
のレースはバイクタイムがいつも悪かった)かなり乗れていないと確信し,焦った.
への切符は枠と予想していたので,ランには追い上げてくるだろうさんの
走力を勘案すると,前の全員をランで抜いておかなければならない.結局,さんは
途中で失速したようで,さん,さん,私の順でバイクゴールした.ランスタート直
後,気持ちを焦らせながらさらに下りで加速し,ペースが上がった.分を切る
ペースに自重を促しつつも,このペースなら後続もそう簡単には追いついてこない
と思った.すぐにさんを捉えた.走り始めてすぐの最初の折り返しで,さんを見つ
けた.分位は離れているようだった.ランの実力が知れないだけに不気味に感じ
た.後ろから,さん,さんと続き,少なくてもこの上位位の間に大きな差はない.
さんの姿は見つけられなかった.このまま坦々と距離が過ぎればよいがそうはい
かない.付近の歩道橋を渡る時に足が攣りそうになった.攣ったら勝負が決ま
ってしまうので,何とか誤魔化しながら,階段を下りた.
最近のウォッチは走りながら速度が分かるからペース管理しやすい.私が使用するのストライドセンサーは,ストライド長もデータとして残る.を分
秒前後のペースを確認しながら走り続ける.前のさんも見えなければ,後ろか
らさんも来ない.この年間,さんにももランで逆転されていたので,
ゴールするまで気が抜けない.距離が進むほどに疲労も蓄積してきて,ペースが落
ちていくのが分かる.
の折り返しに差し掛かった時にすぐ目の前にさんの姿を捉えた.自分も折り
返した時に,すぐ後ろにさんを発見し目を疑った.ランの序盤に抜かしたはずであ
ったのに追いついてきた,いや私がペースダウンしているのか,疲労はピークに達
していた.その後ろにはさん,さんは見えない.それにしても目の前のさんに
なかなか追いつかない.ストライドが短くなりペースが落ちている.過ぎでや
っと追い抜き,「頑張りましょう」と声を掛けたが,さんが迫ってきそうだ.残り
くらい何とでもなりそうだが,もう余力がなかった.手前位でさんに抜かれる
が,まったく反応できない.歩くようなスピードに落ちていくのが分かる.抜いたはず
のさん,はたまたさん,さんにゴール手前でさされるか.に何としても行
きたいという思いだけで,気力を振り絞った.エイジ位でゴールした.優勝していれ
ばのは文句ないが,使命は果たしたかなと安堵した.
歳はのスロットが枠あったようで,位のさんは初だそうだ.
同じエイジの常連のさん,さんが落ち,初を狙っていたさんも落ちた.
うちの子供と年齢が近く,家族での行を楽しみにしていた歳の君,君も獲れなかった.残りの次第だが,寂しいかぎりだ.やはり,フルディ
スタンスのの日本での開催を望むところである.
:ウェットスーツ;シロモト,ゴーグル;アクアシェア・ケイマン
:フレーム;スコット・プラズマ,ブルホーンバー;,バー;プロファイル・
コブラ,パッド:,サドル:・,コンポーネント;シマノデュラエース,
ホイール;マビックコスミック,タイヤ:マビック,サイクルコンピュータ:・
パワーメーター:
:シューズ;ニュートン
ハートレイトモニター:ポラール
サプリメント:アミノフィール
流動小説集1―『無題(7)―A』:人間と物語生成システム ..
いろいろ食べて大満足。1時間ほどで切り上げて、夜の街をブラブラ。JR大阪駅の反対側に行ったら、北新地に出た。ここがユーメーな北新地か・・・。梅田ってなんか、東京で言うと銀座みたいな感じだ。1時間以上歩いてさすがに疲れたので、ホテルで飲みなおしていつのまにか爆睡。(今日の歩数:6,800歩)
14日は、朝、7時30分に起床。今日の予定は、有馬温泉に行くか、新開地に行くか、ミナミに行くか・・・。それによって、このまま二度寝するかどうかが決まる。けっきょくウダウダと迷い続け、10時にチェックアウト。山陽本線に乗って神戸へ行き、新開地を探検して大阪に戻る。駅前の「ヨドバシカメラ」を覗いたあと、梅田スカイビルへ。展望台にのぼっている時間はないので、滝見小路でのんびりとひと休み。開場時間の16時が近くなってきたので、会場のShangri-Laへ。ライブは17時05分から19時25分まで。ビールを飲んで店を出たらまだ19時半、新幹線の時間までにはけっこう余裕がある。梅田で飲んで行こうかとも思ったけど、地下鉄で新大阪に戻ってから店を探す。地下街に「多幸梅」という店を見つけて、20時に入店。串カツやどて焼きをつまみに、ビールと「松露」という焼酎を二杯飲む。21時閉店というのも、今日の自分にとっては好都合。ギリギリまで満喫して、21時20分ののぞみN700系に乗って東京へと戻る。けっきょく家に着いたのは、1時近く。楽しかったけど、さすがに疲れた~。(今日の歩数:7,011歩)
2008年2月23日(土)~24日(日)、忌野清志郎の完全復活祭をメインにした一泊二日の旅。いまさら大阪観光というのも無いので、ゆっくり家を出て12時13分発ののぞみ27号に乗り込む。株主優待券をもらったので東京駅で切符を買ったら、B席(3人がけの真ん中の席)しかとれなかった。ただの週末なのにけっこう混んでるんだなぁ~と思いつつ、席につくなり爆睡。。。14時49分、あっという間に新大阪へ到着。帰りの寝台特急の切符を買ってから、地下鉄でなんば駅へ。千日前の「ビックカメラ」でiPodのシリコンケースを買い、道頓堀の「づぼらや」に行く。大阪といえば「ふぐ」、ふぐといえばやっぱり「づぼらや」だよね・・・。ちょっと奮発して、てっさ、焼きふぐ、ふぐの唐揚、てっちりが食べれる「大黒コース」を注文。ひれ酒を何杯もおかわりしながら、じっくりと堪能させてもらいました。既に17時半を過ぎていたので、難波の「TOWER RECORDS」に寄ってから、今夜とまる「ビジネスホテル菊栄」へチェックイン。ちょっと駅から離れているし、古い感じのホテルだけど、まぁまぁ満足。しばらくのんびりとテレビを観ながらくつろいで、21時半ごろ夜の街へと繰り出す。行きつけのマッサージ屋「癒し」で、タイ古式伝統マッサージ60分を受ける。ちょっと痛かったけど、なんだかとってもスッキリすることが出来た。それから「たよし」で飲もうと思ったんだけど、混んでたので「えびす屋」という店へ。串カツがメインの店で、なかなかいい感じ。値段も安くて、これから行きつけになるかも? ホテルの門限が1時というので、1時間ほどで切り上げてホテルへ戻る。それから部屋で飲みなおしているうちに、知らず知らず眠りに落ちる。
24日は、8時に起床。窓の外を見ると、なんと雪がちらほら。でも、空は晴れている。変な天気・・・。9時半過ぎにチェックアウトして、しばらく道頓堀や千日前をブラブラ。道頓堀は来るたびに店が入れ替っているような気がする。千日前から少し足をのばしてみると、けっこういろいろな店を発見できて面白かった。昼メシ時も近づいてきたので、「矢車」でお好み焼きを食べることにする。何のことない飾り気のない店だけど、大阪のお好み焼きはやっぱり美味しい。ビールを飲みながら満喫すると、時間は13時をまわっていた。ここからは、ひたすら「忌野清志郎 完全復活祭 追加公演」に向けての時間となる。居ても立ってもいられず、地下鉄で肥後橋まで行き、今夜のライブ会場「フェスティバルホール」へ行ってみる。「フェスティバルホール」は、ごくありふれた感じのビルの2階にあった。物販の開始時間まで2時間以上あるので、大阪駅に向かってブラブラ。大阪駅に行く途中、大阪第三ビルから第一ビルへ抜けると、曽根崎界隈に出た。お初天神を中心にいろいろな飲み屋が並んでいて、なかなかイイ感じだ。いい加減疲れてきたので、ネットカフェにでも入ってみようと「MediaCafe POPEYE」へ。実は個人的にネットカフェ初体験・・・。ちょっとドキドキしながら店に入る。席のグレードがいくつかあったけど、“一応個室”といった感じの「ビジネスシート」にしてみる。異常に丁寧な店員さんに案内されて、自分のシートへと向かう。照明に照らされた机の上にパソコンとテレビ、リクライニングシートに申しわけ程度のパーティション。これで1時間420円なら、まずまずってところなのかな。椅子に座ってパソコンを立ち上げ、あれこれネットサーフィン。と思いきや、ちっとも堪能できないのですよ、これが。。。パスワードを入力するのが怖いので個人ページに行けなかったというのもあるけど、何よりも今日のライブのことでアタマがいっぱいで、それどころじゃなかったのだ。1時間ほどいたけど、特に何をしたというわけでもなく、15時半ごろ早々に退散。そろそろ物販が始まる時間なので、再び「フェスティバルホール」へ行ってみる。既に待ち行列が出来ていて、70人ほど並んでいたように思える。しばらく待って、16時に販売開始。パンフレットとTシャツを希望どおりゲットして、まずはひと安心。それからまた近所をブラブラしながら、ソワソワしつつ開場を待つ。開場時間の17時15分を少し過ぎたころ再び会場に行くと、大勢の人でごった返していた。ライブは、18時05分から20時40分まで。大満足で会場をあとにする。明日は月曜日で仕事なので、寝台特急で帰ることになっている。出発時間の0時34分にはまだまだ余裕があるので、曽根崎で飲むことにする。ここでも「たよし」を見つけたので、入ってみることに。日曜日のこの時間なので、さすがに店内はガラガラ。おまけに23時閉店ということで、あと1時間半しかない。とりあえず串カツや白子、ふぐの唐揚をつまみながら、焼酎と日本酒を飲む。23時前に切り上げて、近くの「秋吉」という焼鳥屋で二次会。けっこうお腹いっぱいだったので、つまみは控え目にと思っていたのに、どういうわけか1種類5本づつ注文しなければならないというシステム。確かにみんな同じ種類の焼鳥を、5本づつバリバリ食べまくっている。。。仕方なく2本組のロースカツや、せんまい刺などを注文して焼酎を楽しむ。
そろそろ0時になろうとしていたので、お酒でも買おうとコンビニを探すが見つからず。しかたなくお茶だけを買って、0時34分発のサンライズ瀬戸に乗り込む。10号車18番1人用個室ソロということで、二段ベッドを無理矢理個室にしたようなイメージ。それでも上の段だったので、窓からの眺めも良く、そこそこ満喫できた。夜の闇に光る雪景色を見ながらしばらくボォ~っとしたあと、眠りについたのであった。途中、電車が駅に停まったりすると、どうしても何度か目が覚めてしまった。うつらうつらしていて「地震がなかなかおさまらない!」と思っていたら、なんのことはない電車の揺れだった・・・なんてこともあったりして。
2008年12月29日(月)、京都からJRで大阪へ。京都駅に停まる寝台列車がなくなってしまったため、大阪から乗ろうということで。大阪駅に着いたのは、22時20分過ぎ。お腹が空いたので飲み屋を探す。既に閉まっている店が多かったけど、駅ビルにある「木曽路」という店にすべり込む。そして串カツやどて焼きを食べながら、ビールと日本酒を飲む。だけどすぐにラストオーダーになってしまい、23時15分には店を出る。電車の時間まではまだまだ余裕があるので、曽根崎に向かって歩く。こちらはこの時間でもやってる店がたくさんあって、最初からこっちにくれば良かったと後悔。さすがにもうお腹一杯だったので、しばらくブラブラするだけにして駅に引き返す。駅に戻ってしばらく待って、0時34分発のサンライズ瀬戸に乗り込む。1人用個室シングルということで、なかなか快適な空間。持ち込んだお酒を飲みながら、しばらく窓の外の夜景を眺める。名古屋を過ぎたあたりで、いつの間にか就寝。あっという間に時間は過ぎて、7時08分に東京駅に到着。年末だからか空いてる電車に揺られて、8時過ぎに帰宅。
2010年4月4日(日)、朝7時ごろ起床。天気はめちゃくちゃ良くて、絶好の観光日和。予定では詩仙堂と圓光寺に行くはずだったけど、大幅変更して大阪に行くことにした。お目当ては、道頓堀でやっている「NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL 忌野清志郎+有賀幹夫写真展」。来月には東京にやって来るけど、いろいろな評判を見ているうちに居てもたっても居られなくなったのだ。9時29分京都駅発の新快速に乗り込み、大阪に到着したのは9時53分。それから地下鉄でなんば駅へ。開場まで時間があったので、道頓堀あたりをブラブラ。11時近くになって、会場の「studio ZAZA」へ。なかなか会場を立ち去ることが出来ず、けっきょく1時間以上居座ってしまった。ちょうど昼時になってお腹も空いたので、千日前の「福太郎」でお好み焼を食べる。先日からずっとお好み焼が食べたくてしょうがなかったので、めちゃめちゃ旨かった。それから電車を乗り継いで、京都へとんぼ返り。
2015年9月13日(日)~14日(月)、麗蘭「GOOD TIMES ROLL」を観に行く。東京駅を11時ちょうどに出発して、新大阪駅に着いたのは13時33分。大阪へ来るのは、実に5年ぶり。久しぶりのナニワの景色に気分があがる。御堂筋線でなんばまで行き、道頓堀あたりをしばらくブラブラ。それからアメリカ村へ歩いていき、「KING KONG」でオーティスのレコードを購入。15時半ごろ、今夜泊まる「西鉄イン心斎橋」へチェックイン。ここは初めて泊まるけど、なかなかグレードが高くてイイ感じ。16時過ぎにホテルを出て、今夜のライブ会場「BIG CAT」へ。「BIG CAT」は初めてのハコ。BIGSTEPというビルの4階にあって、なかなかゴージャスな造り。会場前で友達と落ち合う。いつもとは逆で、こちらが遠征組というのは珍しい。時間通り16時半に開場し、整理番号115番で入場。ステージ正面の6列目に座る。かなり広いフロア、天井が高くてイイ感じ。ステージも高くて、どこからでもよく見えるかな。ライブは17時30分過ぎから19時50分ごろまで。ライブ終了後、友達と一緒に「アガッタ!」へ。“リズム&串カツ”ということで、ソウルフルでゴキゲンなBGMをバックに美味しい串カツを食べる。おまかせコースの串カツに加えて、カクテキの串カツとかちょっと珍しいヤツも食べたりした。みんなは電車やバスの時間があるので、23時ごろおひらき。ホテルの前の「河童」という店でラーメンを食べてから、24時前にホテルへ戻る。部屋で飲み直そうと思ったけど、いつのまにか寝落ち。。。
14日、大阪の朝、5時半に起床。午後から仕事なので、新大阪駅7時30分発ののぞみに乗って帰らなければならない。ちょっとだけあたりをブラつこうかと思ったけど、なんとなく時間が経ってしまい断念。心斎橋から御堂筋線に乗り込み、7時前に新大阪駅に到着。7時30分ののぞみに乗って東京へ。この時間の新幹線、意外と混んでるのね。10時過ぎに東京駅へ着き、中央線に乗ってひとまず家へ帰る。
2015年10月30日(金)~11月1日(日)、大阪フェスティバルホールへ山下達郎「PERFORMANCE 2015-2016 40TH ANNIVERSARY」を観に行く。な~んて簡単に書いているけど、14時まで打ち合わせしてそれからというのはかなりキツいものがあった。それでもなんとか東京駅14時40分発の新幹線に乗り込み、17時13分に新大阪駅へ到着。地下鉄御堂筋線に乗り換えて、最寄駅の淀屋橋に着いたのは17時半ごろ。ちょっとばかり道に迷ったりしながらも、どうにか開演時間に間に合うことが出来た。むしろ時間に余裕があったので、フェスティバルタワーのスカイロビーへ昇ってみたりもした。ライブは18時35分ごろから21時45分ごろまで。コンサート終了後、友達が会いに来てくれたので、いっしょに呑みに行く。この界隈は店が早く閉まってしまうようなので、「OUTBACK」というステーキ屋に入る。それにしても、わざわざ時間を作って会いに来てくれるなんて、嬉しいったらありゃしない。終電の時間もあるので、24時前にはおひらき。梅田駅で二人とはお別れ。地下鉄御堂筋線でなんば駅まで行き、「ゑびす屋」という店でちょっとだけ呑み直し。1時ごろおひらきにして、大阪の定宿「ル・ボテジュールナンバ」へチェックイン。のんびりくつろぐ間もなく、いつのまにか寝落ち。
31日、7時過ぎに起床。ベッドでゴロゴロしながら、「今日はどうしようか?」と考えているうちにチェックアウトの時間。以前から気になっていた「とんぼりリバークルーズ」に乗ってみることにする。道頓堀川を20分かけて船で往復。ちょうど良い陽気で、とっても気持ちがイイ。添乗員さんのトークがなかなか面白くて、歩いているだけでは味わえない経験が出来た。お昼が近づいてきたので、仲間内で話題の「インデァンカレー」を食べる。シンプルなメニューとスパイシーな味が、たまらなく自分好み。それからブラブラと歩いて黒門市場を抜け、天王寺七坂へ行ってみる。大阪の友達から勧められたスポット、京都に負けない風情がある街並み。その起点にある生國魂神社は11の境内社があり、神社のテーマパークみたいな感じ。そのまま天王寺方面へと歩いていき、四天王寺にお参りしたあと「あべのハルカス」へ。“日本で最も高い超高層ビル”ということで楽しみにしていたのだけれど、展望台の入場料が1,500円というのはちょっと高過ぎ・・・
ということで昇るのはあきらめる。天王寺動物園へ行ってみようと思ったけど、入園するのにかなり並んでいたので断念。そのあと歩いて新世界へ。久しぶりに来たけど、なんとなく普通の街になっちゃったような印象。せっかくだから一杯やりたいところだったけど、夜のコンサートに備えて自粛。恵美須町駅から地下鉄を乗り継いで西梅田駅、今夜泊まるホテル「セカンド・イン梅田」へ。チェックインが16時からということでちょっと待つハメになったけど、どうにか無事にチェックイン。しばらくホテルで休憩したあと、17時過ぎに再び出かける。会場のフェスティバルホールへは、歩いて10分ほどの距離。これはかなり便利。ライブは18時05分ごろから21時15分ごろまで。コンサート終了後、せっかくなので北新地へ行ってみる。高級そうな呑み屋が多くて、ちょっとばかりビビりつつも良さそうな店を探す。ブラブラ歩いていたら、コンサートが終わったばかりの伊藤広規さんに遭遇。いくらなんでも繰り出すの早過ぎるだろ~!と突っ込みたくなった。「まるとく」という店を見つけて入ってみる。なかなかリーズナブルでイイ感じ。串カツやどて煮といった定番をつまみに、ビール、酎ハイ、日本酒を満喫。2時間近くたっぷり呑んだあと、「天下一品」でラーメンを食べて、24時過ぎにホテルへ戻る。今日もまた、あっという間に寝落ち。
1日、朝6時に起床。眠い目をこすりながら7時前にはチェックアウトし、JR京都線に乗って新大阪駅へと向かう。そして7時30分発の新幹線に乗り込み、10時過ぎに東京駅へと戻ってきた。
2015年12月11日(金)~12日(土)、午前中で仕事を切り上げて午後から大阪へ。さすがにスーツ姿では行きたくないので、いったん家に帰って着替えてから再度出かける。14時20分発の新幹線のぞみ41号に乗り込み、グッスリ爆睡しているうちに新大阪駅に到着。それから地下鉄御堂筋線に乗り換えて、淀屋橋駅へ到着したのは17時10分過ぎ。クリスマスイルミネーションに輝く街を眺めながら、しばらくあたりを散策。フェスティバルタワーの展望台は、それほど高くないけど吹き抜けになっていて気持ちイイ。開演時間が近づいてきたので、隣接するフェスティバルホールへと向かう。今回の旅の目的は、山下達郎「PERFORMANCE 2015-2016 40TH ANNIVERSARY」を観ること。個人的には、このツアー5本目の参加。フェスティバルホールは10月末に続いて3回目となる。ライブは18時30分から22時ごろまで。コンサート終了後、再び地下鉄御堂筋線に乗り込み、5分ほどでなんば駅に到着。今夜泊まる「ル・ボテジュールナンバ」へチェックインしてから、ミナミの街へと繰り出す。かなりお腹が空いていたので、ソッコーで「じゃんじゃん」という串カツ屋へ飛び込む。「ソース二度漬け禁止」のベタな雰囲気、ちょっとバタバタしてる感じはしたけど美味しかった。1時間ほどで切り上げて、道頓堀界隈をブラブラしてから、二次会は「えびすや」へ。ここは何度か入ったことのある店、どて焼をつまみながら酎ハイと焼酎を呑む。いい加減お腹イッパイになったので、1時半過ぎにホテルへ戻る。部屋で呑みなおそうと買い出しをするも、ほとんど手つかずで寝落ちするのはいつものこと・・・。
12日、7時に起床。例によってベッドでグダグダしながら、本日の計画を立てる。ホテルからすぐ近くということもあり、「なんばグランド花月」の本公演を観に行くことにする。9時半ごろホテルをチェックアウトして千日前を歩くと、あまりの人の多さにビックリ。今は9時半、まだまだ朝だぜ~。いったいみんなどこへ行こうとしているのか? 9時45分から12時10分ごろまで満喫。いやぁ~おもしろかった。また是非観たいものだ。お腹が空いたので、道頓堀の「づぼらや」で昼食。ちょうど昼時だから入れないかと思ったけど、うまいことカウンター席に入れた。てっさ、てっちり、唐揚のコースを注文。そしてもちろんビールとひれ酒。「づぼらや」は久しぶりに来たけど、やっぱりサイコーだ。1時間半ぐらいかけて満喫してから、腹ごなしを兼ねてアメリカ村を散策。「KING KONG」を覗いてみたけど、今日のところは特に収穫なし。時間は既に16時半。あたりは暗くなり始めている。なんとなく「なんばHATCH」へ行ってみたあと、暗くなった御堂筋をブラブラと歩く。イルミネーションの色が白だったり青だったり黄だったり、エリアごとに変化していくのが楽しい。普通なら1時間ほどで歩ける距離だけど、寄り道をしながら1時間半ほどかけて踏破。そして北新地を抜けてマルビルへ。「Tower Records」へ寄って、いろいろな人のサインを見て廻る。うわさ通りCHABOのサインもあった。こういうのって、なんだか嬉しくなる。そろそろ帰りの新幹線の時間が気になりだしてきたので、ひとまず新大阪駅へと向かう。地下鉄御堂筋線に乗って19時過ぎに到着。新幹線の時間まで呑むことにする。お好み焼きを食べるにはまだそれほどお腹が空いていないので、串カツを食べることに決定。「だるま」へ行ったら行列が出来ていたので、「どん」という店に入る。串カツをいくつかつまみながら、ビールと酎ハイ、そして焼酎まで飲み干す。そして20時20分発の新幹線のぞみ58号に乗って、23時前には東京駅へと帰ってきた。
2016年1月30日(土)~31日(日)、今週末は大阪へ。ライブではなく、大学時代の後輩と呑むためだ。10時10分発ののぞみ23号に乗り込み、新大阪駅へ到着したのは12時40分。改札で後輩と落ち合い、JRを乗り継いで新今宮駅へと向かう。ディープな大阪ツアーは、そのあたりの店をハシゴして呑み倒そうという企画。まずは一軒目、路地を入ったところにある「深川」というおでん屋。じっくりと煮込みに煮込まれたおでんをつまみながら、まずはビールで乾杯。それから「きらく」。つまみはホルモンとホルモンそば・うどんしか無いというこだわりの店。なんとも言えないまったりとした雰囲気の中、ホルモンをビールで流し込む。三軒目は「まるしょう」。キュートな女性がてきぱきと切り盛りしてる居酒屋。スジ焼と茄子ガーリックを食べながら、ここらで酎ハイへと切り替える。関西はホッピーではなく酎ハイが主流。郷に入っては郷に従えである。時間はまだ15時、まだまだ呑めそう、食べられそう。次は道端の屋台で100円お好み焼き。行き交う人を眺めながら缶ビールとともに。みんないろいろな事情を抱えているのだろうけど、なんとなく緩やかな空気が流れてる。それから「難波屋」へ。この店はちょっと有名らしくて、こんな時間から大賑わいだ。かつお刺身、煮物、スパゲティサラダ、みんな200円から250円というリーズナブルな価格設定。しかもとっても美味しくて、酎ハイと日本酒がグイグイ進んでしまう。そして「フレッシュ2号店」という店へ。マーケットのような外観、その奥でみんな呑んでる。焼きそばを食べながら、ビールを呑む。しかしどの店も、安くて旨くてたまらない。13時過ぎに呑み始めて5時間、けっきょく六軒まわってひとり3,820円。なかなか充実した呑みだったと話しながら、新世界へと歩いていく。このあたりはすっかり観光地化されてしまい、今となってはまったく濃さを感じない。そのまま日本橋のほうへ抜けて、中古盤屋「サウンドパック本店」へ。2階のアナログコーナーは、邦盤・洋盤ともになかりの充実度。それから千日前へと歩いて、「自由軒」で名物のカレーを食べて仕上げ。心斎橋駅から電車に乗り込み、阪急電車を乗り継いで甲陽園駅へと向かう。今夜はいま後輩が住んでいる社員寮に泊めてもらう。高台の上にあって素敵なところ。DVDを観ながら部屋で呑みなおし、けっきょく2時ごろまで話し込んでしまった。
31日、8時ごろ起床。明るい陽射しが差し込んできて、気持ちのいい目覚め。それからまたDVDを観ながら、まったりとしたひとときを過ごす。なんだか学生時代に戻ったような気分になる。いいなぁ~こんな感じ。11時過ぎに行動開始。夙川沿いをブラブラと歩いて、夙川駅へと向かう。とってもいい天気で、なんだかとっても気分がイイ。それから電車に乗って梅田へ。大阪駅ビルの地下街をブラブラ。居酒屋でビールを呑みながら、トンテキ定食を食べる。この地下街は飲食店をはじめ、いろいろな店が立ち並ぶパラダイス。「DISC J.J.」と「名曲堂」という中古盤屋を覗いてみる。ちょうど流れてきた曲にグッと来て、店員さんに誰の曲なのか?を確認。ジャコパスの甥のバンドということがわかり、迷わず衝動買い。偶然の出会い・・・こういうのがあるから楽しいんだよな。JRで新大阪駅まで行き、後輩とお別れして14時30分発ののぞみ370号に乗り込む。古い友達と新しい出会いを求めて歩いた週末、とっても充実した大阪ツアーであった。
2016年3月20日(土)~21日(日)、三連休二日目、「一夜限りのTHE NURSE 大阪編!」を観るために大阪へ。「東京編」のときは大阪へライブを観に行っていたために観ることが出来ず、そのリベンジを果たすために大阪へ遠征するというなんとも不思議な展開。でもまぁ、とにかく楽しみ。会場がKING COBRAというのも、Punksとしては大きな要素。11時20分発ののぞみ331号に乗り込み、シウマイ弁当を食べているうちに14時前には新大阪駅へ到着。そのまま御堂筋線で心斎橋へ出て、OPA地下1階の「GIMME SHELTER」期間限定ショップへ。「DAVID★BOWIE追悼STORE」が併設されているという事もあるけど、東京よりも広くてイイ感じ。Tシャツやポスターなど商品もたくさん揃っていて、あれこれ目移りしてしまって困る。iPhoneカバーを買おうかとギリギリまで悩んだけれど、今日のところはやめておいた。それからアメリカ村と道頓堀を抜けて、中古盤屋を覘くために日本橋へ。ところがものすごい人の数・・・。しかもコスプレをしている人ばかり。どうやらコスプレのイベントが行われているらしく、とにかく大勢の人で賑わっている。救急車まで来るような状況で、身の危険すら感じたため早々に退散することにした。おかげですっかり疲れてしまい、16時半には今夜泊まる「大阪帝国ホテル」へチェックイン。このホテルは初めて泊まるけど、何度も前を通って「おっかないなぁ~」と思っていたところ。だけど中へ入るとまったく普通のホテルで、全然問題なかった(当たり前か・・・)。18時15分ごろ再び出かける。今夜はKING COBRAへ、「一夜限りのTHE NURSE 大阪編!」を観に行く。ライブは19時から22時40分過ぎまで。ライブ終了後は呑み。行きつけの「ゑびす屋」へ行く。ずいぶん遅くなってしまったけれど、この店は24時間営業なので安心。串カツやどて焼きといったベタなものを食べながら、ビールとチューハイを呑む。1時間半ほど満喫して、「ぼっこ志」でラーメンを食べて1時過ぎにホテルへ戻る。
21日、意味もなく6時半に起床。それからウダウダと過ごすひとときは、けっこうお気に入りの時間。大阪をどのように満喫するか?をあれこれ検討。その結果、案はふたつ。まずは第1案。9時過ぎにホテルをチェックアウトして、「なんばグランド花月」へ行ってみる。9時45分の回を観ようと思ったのだけれど、立見すら売り切れということで断念。それではということで、第2案にシフトチェンジ。なんばから御堂筋線に乗って北へ向かう。千里中央駅から大阪モノレールに乗り換えて、10時30分に万博公園駅へ到着。新しく出来たという「ニフレル」へ行きたかったけど、90分待ちというので断念。万博記念公園へ行って、のんびりと過ごすことにする。太陽の塔を見るのは実に18年ぶりになる。やっぱりイイなぁ~、太陽の塔。「EXPO'70 パビリオン」なる建物にも立ち寄る。一見モヤってるように見えたけど、意外と良かった。未来は明るいと信じていた時代・・・あの頃の人たちの想いが伝わってくるような気がした。1時間半ぐらいブラブラして、再び大阪モノレールに乗って千里中央駅へ。どこかで昼食をとろうと思ったけど、めぼしい店が見つからずに断念。とりあえず新大阪駅まで行き、駅ビルの「どん」で串カツを食べながら呑む。昼間っからどっぷりと呑む・・・
イリノイ選出議員キング氏は「下院は際聯盟憲章を修正し様なれば獨逸を武装 ..
始めにうれしい御報告です。トライアスロンを始めて年に成りますがアイアンマンに
チャレンジを続けて回目のレースはようやく念願のハワイ島・カイルアコナを舞台に
月日に行われるへ出場です、偶然にもこちらも第回大
会?で御縁を感じました。
トライアスロンはハワイアイアンマンに出場という目標一筋にやってきて、予選となる
カナダ・琵琶湖・スイス・五島・マレーシア大会等毎年・回のレースに挑戦していま
したが我が団塊世代以上の年代は強豪ぞろいで中々クオリファイ出来ないまま
過ぎからは故障やレース前の不眠症のせいか昔はラン途中から、最近はバイクkm過ぎると眠くなりペースダウン、おまけに内臓が弱いのか胸が苦しくて食物等エ
ネルギーや水分補給も十分出来ず、ランで脱水症状に陥るパターンが多く満足出来
るレースは有りません。それでも水分を取って休むと多少快復し完走はするもののハ
ワイの道には程遠く、夢で終わりそうな感じでした。でも目標が有ったからこそ続けて
来れた、それでも良しと考え年はアイアンマンの他にも歳のメモリーとしてのエイジランキングに挑戦しようと準備?し石垣島・館山等エントリーする。年明
けにからメールでロッタリーの新しいレガシー・プログラムの案内が届き
ました。内容はこれまでの抽選枠とは違うアイアンマンフリーク(諦めずに挑戦し続け
るの御得意さん?)の為の御褒美抽選枠の様、正に僕の為に出来たプログラム
だと思い!早速のエントリーフォームに条件である回の完走記録・
前2年のレースに’年出場の大会等に加え過去の記録(幸いウルトラマン・・
ハーフ他皆生・宮古島等40以上のレース全て完走と内容は十分です?)を書いてエ
ントリーしちゃいました。
4月の館山は前日水温12度と未だ低く不安でしたが当日安全の為スイムがランに変
更され、ラン・バイク・ランのデュラスロンになり水の不安は解消しラッキー!
御蔭で前年ランク1位のさんとのマッチレースに勝利、賞品の時計や美容品等嫁の
土産も頂けて、やはり1番になると違うと感じました。
月日にはロッタリーの発表が上で有りレガシー・ウイナー100名のリストの
番目(年齢順です)に私の名前を見付けニッコリです。日後に正式なメールが届
き、後はエントリーしている月の・を完走すればです。
石垣島もの仲間と楽しいレース、幸いにも又年代位に(オンラインの受付で直ぐ
締め切られ為、強豪が参加出来なかったのかも)成りラッキー続きでしたが疲れのせ
いか腰が曲がらず痛いので無理せず休養、腰はすっきりしませんが取り敢えず月日の天草エイジ選手権に向けて短い練習のみでロングはお休みです。天草は年
振りで前回の位時間分台のタイムをあまり落さず昨年のトップ時間分前後
が目標。参加者名簿を見ると強豪の名前が(私より持ちタイムの早い人)がずらりと
揃い、甘くは有りません。レースは案の定激戦で位から位迄数秒差で昨年より
分以上早く位までが私の目標タイムをクリアーし、出来なかった私位に終わりポイ
ントゼロですバイク終了時点で分以上離されランパートは番でしたが焼け石に水
::のフィニッシュタイムこれが実力でしょう。
レース後バイクの荷造り中に腰が怪しくなり、帰りのバスや新幹線で荷物持っての移
動は慎重にして我が家に戻りました。(今回は賞品も無くちょっと寂しい帰宅でしたが
ひと月余り後に大会本部から特別賞のかまぼこセットが届き、順位番=国道
号にちなんだロータリークラブ賞、未だ幸運が少し残っている様でうれしい)しばらく腰
が不安でバイクも余り乗れずに次のレースがお待ちかねです。
週間後千恵美と人ドイツに向かいミュンヘンから北程の町レーゲンスブル
グに到着お宿は駅から程離れた★のハンザ・アパートホテルです。レース会
場へは余り、鉄道切符で市バスに乗れるので早速会場近くまでバスで向かい準
備中の受付でいろいろ質問して駅前で食事とバイクショップをチェックしてホテルに戻
る9時過ぎても夕陽がギラギラです。翌朝バイクで会場へ向かい受付を済ませバイク
コースの下見に向かうが市内は歩道の自転車道を走り郊外は車道(右側通行)とや
やこしく間違えてばかりスイム会場グッケン・ベルガ-湖迄の足らずの道が1時
間半も掛かり到着。選手は皆、フルウエットで泳いでいましたが天気も良いので試し
にトリパンでm程泳ぐ、やはり19℃は冷たいが震える程ではないしウエット着
れば何とかいけそう?帰路はコースを正確にフィニッシュ会場へ戻り覗いてホ
テルに戻る。土曜日はギヤバックを揃えてフィニシュ会場からシャトルバスにバイク共
々(町を走る市バスをそのままチャーターした様)分程でスイム会場に着き、早速メ
カニックテントでギヤ・チェーンの歯飛びを相談すると、やはりワイヤーの劣化疲労らし
くメカニックのおじさんは前後共手早く切ってパイプも取替え調整してくれた(50ユー
ロ以上すると思っていたらユーロと云われダンケシェ-ン!)お礼を言ってバイクト
ランジッションでチェックイン。ランギヤバックを預けヘルメット・ストラップナンバーチェッ
クが済むと一人ずつバイクと一緒に写真撮影して終了、後はラックにバイクをセットし
て用意された雨よけのでかいポリ袋でバイクをカバーしプラスチックケース(気が利い
てます)に靴や着替えを入れ準備会場周辺を写真を撮って又シャトルでフィニシュ
会場経由市バスに乗ってホテル迄帰り千恵美と早めの食事をホテルで済ませ明日の
準備やストレッチ等しながら窓の外を見ると時過ぎてもギラギラ太陽です。カーテン
閉めて時頃に眠入るが目が覚めたら未だ時過ぎだ。後は眠れず悶々と時間を数
えるばかりで時分のモーニングコールが鳴り寝るのは諦め、準備にかかる、ここ
は大会オフィシャルホテルなので時から食事、そこそこ食べてひと休み、レース
バック背中に背負ってフィニッシュ会場までジョギング。そこから昨日と同じシャトルバ
スでスイム会場へ、ボディマークは無く、トランジッションで着替えや準備、天気は良さ
そうだが皆フルウエットスーツです(フルはタイトで息苦しいので僕はロングジョンを持
参ました)水温度と冷たいので後半冷えて低体温に成らないか気掛りです。
スタートのプー!音が鳴るとプロに続いてのアスリートが次々と泳ぎ始めます、
今回僕は完走有るのみ、安全第一でバトルを避けて最後尾のスタートにしました、御
蔭で接触も少なくマイペースをキープ、でも辺りから体が冷えて尿意が増すが我
慢々々、スイムを終えトイレに直行するが中々出ないし終わらない、やっとスッキリし
てトランジッションへ、以外に沢山バイクが残っていた。タイムは:分とさほど遅くも
なく上々でバイクスタートです、雲空に変わり少し涼しい、23辺りまでほぼフラット
の道路を快調に走る、そこから程は丘陵?のゆるい登りで≒程のアッ
プダウンは続くが下り道の見透視がいいので不安無くダウンヒル、バイクはバイエル
ンの麦畑や小さな町や村を走り抜けグッケン・ベルガー湖まで戻る≒ 周回コ
ースそこからレーゲンスブルグのゴール迄残り約です。前半の90は時間分と意外と好タイムでしたが後半は太陽がいっぱいで暑くなるし、ロングの練習不足
がたたりペースは落ちるばかり、胸苦しくむかむかしてエネルギーや水分補給もまま
ならず、眠気症状でしっかり走れない(最近のレースでの悪い傾向です)何とかゴ
ールの町に戻りバイクフィニッシュしてランに移るが意識が怪しく足が進みません、脱
水か熱中症状?と思いのエイドで横になり水や氷を貰って冷やししばらく休んで
又、走るが快復しない、周回のポイントで応援の千恵美の声も上の空状態で遂に足
がふらつきだした、早歩きにチェンジしてもまっすぐ前には進めないのでのエイド
で又、横になり休んでいるとスタッフが心配して氷や飲み物を勧めて頂き有り難いこと
です。そのうち誰かに各エイド近くに待機している救急隊員に通報され、えらいことに
なりました、此処でドクターストップになったら全てが水の泡「大丈夫、ちょっと休憩し
てるだけネヴァーギブアップと説明しても納得してもらえず 取り敢えず血圧と血糖値?
の検査(高血圧症の私ですが幸い運動中は下がるので)、=で何と
かレース続行しばらく休み、ゆっくりですが走りだすと何とか真っ直ぐ走れました、
大事なへの道です、何が何でも完走するとの気持ちが頼りです。周
回時間が長かった為、千恵美は心配してましたが今度はしっかり応えることが出来、
このまま走れそうな感じで、辺りで休んでいる間に抜かれた日本の真鍋さん、
その先で仙石さんにも声を掛け最後の周回に入る、ランコースはドナウ川を挟んで旧
市街と公園を走る5の周回コースです。公園は地道ですが旧市街は凸凹の石
の路面が続き走りにくく踵が痛いので終わってから見ると左ヒールの硬質ゴムが取
れて無く、右も剥がれそうな状態でした。ナイキジャパンにゴムの接着力が低いと云
いたい!!(ナイキに見せると自然劣化との見解でした)
週目入るとコース上に選手は少なくなり参加者のレベルは高い、キープゴーイング
で時間分のランフィニッシュ、時前の日没と共に僕のレースは終了。日本の
お二人も少し遅れて無事ゴール。聞けば仙石さんはフィニッシュ後(無理やり?)救急
車で病院へ連行?翌日昼のアワードパーティ前には戻られエイジの位で表彰
台に立たれました。人で一緒に写真を撮りお別れし(後に聞いた話では、点滴+1
泊で約7万円の請求書が届いたとか?)午後、私達は早々に荷物をまとめて次なる
目的地フッセンへ鉄道を乗り継ぎノイシュバンシュタイン城等観光の為移動。又ミュン
ヘンからドバイ経由のエミレーツ航空(荷物以内ではバイクチャージが要りませ
ん)で大阪に戻りました。成績はパッとしませんが何よりも完走出来たのでハワイへ
のエントリーが可能となり大満足です。しばらくは祇園祭のボランティア(年近く続
いてます)も有り練習はお休みです。
月日の長良川国際大会は暑い1日でした早朝にスタートしたジュニア選手権は男
女・ 4部門のトップは全て京都の子供達が占め今秋のニュージーランド世界大会
に出場です。すばらしい成績の京都のジュニア勢、シニアの坂も負けずにいざ
出陣、エイジ~は第4ウエーブ、最初から低いレベルのバトルが続きも泳が
ないのに第3ウエーブの選手が行く先を阻み泳ぎにくく、混み具合は最後まで変わら
ないままスイムフィニッシュ、へ走る途中ゴーグル落として取りに戻ったり、脱いだ
ウエットスーツ バーに干したり相変わらずタイムロスの多いです、反省、昨年エイ
ジチャンプのさん早々とスタートされた様で焦ります。バイクは河川敷周回のオ
ールフラットの高速コースですが風向きで30kmプラマイ3kmのアヴェレージで走
るが抜かれる方が多い、暑さのせいかイマイチ頑張りきれない時間分余リでバ
イクフィニシュでは冷汗クリーム塗り暑さ対策は万全?のはずだったが、片道1km4往復のアスファルトコースは気温38度?エイドで水を掛けても熱い身体は快
復せず、おまけにスタートして程で戻ってきたさんとはm程の差はきつい.
何とかの番手キープと思うがマイペースは戻らず辺りで 同じエイジ最年
長の地元さんに抜かれ3程付いて粘るがエイドの水を取りそこねたタイミングで
少しずつ離され2時間53分のフィニッシュでした。身体が異常に熱いので急いでシャ
ワー室に直行し座り込んで水掛まくりの不動?さん、分余りの水冷で体温も少し下
り気持ちもほっとする。満足出来る結果では有りませんが無事で何より、次の村上笹
川流れ大会でリベンジ?とハワイに備え・月のトレーニングは続く?
場所:アメリカ合衆国 ネバダ州 ラスベガス
天気:晴れ 水温:28度
最高気温:43度 湿度:15%
スイム:1.9km
バイク:90km
ラン:21km
ラスベガスと日本の時差は-16時間
9月6日(木)東京・成田空港を15時55分に出発後、ラスベガスに着いたのは
9月6日(木)15時30分。
日本を出発した時間が現地の到着時間とほぼ同じとは奇妙な感じである。
いつ起きていつ寝るのか体が結局馴染むことなく、今回のレースの旅が終わった
ように時差には苦しめられた。
9月7日(金)は、選手登録と競技説明会にカーボパーティ。
9月8日(土)ランギア、バイクギアの預託とレースに向けたスケジュールを着々と
こなしていくもののレースに来たという実感がなかなか湧いてこず、終始眠気 に
襲われ、外へ出ると40度を超える暑さでうんざり、ホテル内は約24~25度が逆に
寒すぎるぐらいに感じるものの外に出る気にならない。
そうこうしているうちにレース当日を迎える。
9月9日(日)レース当日
スタート時間は、6時30分の男子プロを皮切りにエイジ別で8時まで5分刻みで続
くフローティングスタート。水温は、28度とウェットスーツの着用は禁止。
7時45分の自分のスタートが始まるまでに先にスタートした選手が続々とスイム
アップしてバイクへと移っていく。
(スイム:1.9km 38分10秒)
スイムは淡水のラスベガス湖を使用し、折り返しが1か所の1.9kmのコース。
自分のエイジは3組に分かれてのスタートで選手が分散されたためバトルなく、
また波はなく穏やかであるが透明度が50cmもないため水中では前の選手が確
認できない。終始体が重くだるさを覚え、周りの選手についてはいかず、ほとんど
単独泳でマイペースを保ってスイムゴールを目指した。
(第1トランジット 5分21秒)
スイムアップからトランジットまでは約200mほどのラン。バイクラックにバイクギア
は設置しているためそこから、カーフガード・ソックス・サングラス・ヘルメットを身
に付け、補給食をウェアのポケットに入れて準備をしていると当然時間はかかる
が、それは想定内としてあせらずバイクへと移行する。
(バイク:90km 2時間49分14秒)
バイクは、折り返し1か所の1ループ。スイムアップから幹線道路に出るまでは上
りが続く。初めてのコースは未知数でしかもこの炎天下のレースとなると何が起
こるか分からない。100%の力を出し切りたいところだが、終始無理をせずという
気持ちも持って先へ進む。
ノースシェアロードを東に向かい折り返し35km地点まではアップダウンが続き、
周りは荒野で人影がない。交通規制はほとんどしていないため、時折大型バン
やオートバイが横を走り抜けていく。欧米勢は、平地と下りは聞いていた通りDH
ポジションでガンガンペダルを踏み込んで、日本人とは速さが明らかに違う。
上りでは追いつくこともあるが、平地と下りでは圧倒されっ放し。
DURA ACE Di2の電動シフトは、やはり精神的にストレスがなく、またKESTREL
4000 LIMITEDの軽快な走りは、アップダウンの多いコースでも有効で練習不足
を補うほどの効力があり、バイクに助けられた感があった。
エイドステーションはコース上に4か所のみ。水はキャップを外さずに吸って飲め
るタイプであるが、スポーツドリンクはキャップを外して飲むタイプの為、非常に扱
いづらい。補給を失敗すると命取りになるため、慎重にボランティアスタッフから受
け取り、水1本は頭・体へと被るために使い、もう1本は補給用で使用した。
しかし、水を被っても乾きが早く、受けとった水・スポーツドリンクがぬるま湯へと
変化するのも早い。
スピードメーターはつけていなかったため、速度は不明であるが周りの選手から
聞くと下りでは70km近いスピードが何度か出ていたと、そんなコースを往復で
走りながら再びバイクスタート付近まで戻り、残りは20kmほど。いつまでも続く
上り下りに苦しみ、外国勢に抜かれることで募りながらも自分のペースを守り、
EXPO会場でもあるバイクフィニッシュ地点に到達。
(第2トランジット 2分19秒)
バイク降車ラインでボランティアスタッフにバイクを渡し、トランジットからランギア
を持って着替えテントへ。キャッ プをかぶり、ランシューズへ履き替え、補給食の
チアパックをウェアの背中に入れてテントを出ると若い女性スタッフが大きな青い
ビニール手袋をして声をかけ てくる。「サンスクリーン!サンスクリーン!」日焼
け止めを塗るために待ち構えてくれている。「サンキュ~!オールボディ・プリ~
ズ!」上半身の顔以外は 全て塗りたくってもらい元気注入完了。ここからさらに
長い旅路のスタートである。
(ラン:21km 1時間57分43秒)
ランは、1周2か所を折り返す3ループ。男 子プロはそろそろフィニッシュが近づい
て来た頃にランをスタート。気温は、まだまだ上昇中で今まで感じたことのない暑
さの中でのハーフマラソンは未知の世 界。走り切れない不安はないものの、この
暑さでどれぐらいのペースで走ればいいのか、1週目は力をセーブしての走行と
なった。エイドステーションは3か 所。特に第3エイドから第2エイドまでは約3km
ほど離れていた為、1週目はこのことに気づかずとにかくのどが渇くため、かなり
長く感じた。
2週目は、 持っていたチアパックに水を入れ、この間での補給はうまくいったが、
なかなかペースが上がらずエイドステーションで立ち止まる時間が長くなっていく
一方。 欧米勢もランでは歩く選手が多く、泣きながら歩いていた女性選手が叫ぶ
「so far!」という声に自分もそう思うと同感しながら、3周目に入ると気持ちも前
向きになってくるが体が思うように前へ進まない。多くの選手が行き交うため全く
自分の順位が分からなかったが気にする余裕もなく、とにかく早くゴール を迎え
たい一心でフィニッシュゲートに辿り着いた。
総合タイム:5時間32分45秒 775位/1794人
40-44エイジ別 100位/ 208人
日本人 8位
※エントリー数:2591名 リタイヤ数:120人 失格:2名
最近レースに出ていて感じるのは、常に戦っているのは他の誰でもなく自分であ
る。中学時代に恩師から言われた「克己心」という言葉。いつまでたっても満足の
いくレースはできないが、少しずつは進歩しているのかなと自分に言い聞かせ、
今期の最終戦は終わりました。しばらくはゆっくり休み英気を養って、またこの舞
台で満足に戦えるだけの力を取り戻したいと思います。
(大会開催日:2012・9・9)
さんと、心の友・ママさん。恋人(?)の隣りに住んでいるエミちゃんたちを中心に ..
JIC会員の皆様お元気でしょうか。金沢の堀野正明です。先月6月24日に行われまし
たIM70.3セントレア常滑ジャパンのレース報告をいたします。先ず、今シーズンの4月
に宮古島トライアスロンの話からいたします。
どのレースでもそうですが、私たちのカテゴリー(60-64)では愛知県のn倉さんの
動向が大きく影響を与えます。参加者名簿からは千葉のy本さんも確認。どちらもお
話はしたこともなく、遠くから拝見しているだけのまさに遠い存在であります。
しかし結果はあろうことか自分が年代で1位になり、どうして? と知人たちに聞くとn
倉さんは3月に落車して骨折されDNSされたとの事でした。なるほどそれで勝てたの
か、と納得しました。今回のセントレアでもn倉さんはスイムだけの参加でDNFであっ
た様子。それにしても27分のスイムのタイムは私より3分強速く、スゴイの一言。
話を今回に戻します。
今年のスイムコースは one wayでしかも後方からの潮流に乗れるしウエットスーツの
浮力もあり、あれよと言う間に終わった。広いトランジッションを抜けてバイクコースへ。
初めの15kmほどは平坦路だが舗装がよくない。しかし怯まずに前の走者に声をかけ
ながらパスして行く。20kmほど走ったころか、同じカテゴリーの二人が追いかけてき
て名前を訊かれた。その二人は稲葉さんと村中さんであった。村中さんは話すうちに
2009年のハワイで立ち話をした方だと思いだした。
丘陵の中を細かくカーブして作られたバイクコースはテクニカル。特に下りとコーナリ
ングの技術を要求される。それなのにチェーンを落とすこと2回。未熟な面がでてしま
った。しかし接触事故もなく無事にバイクを終えホッとする。その時点での順位は稲
葉さんが1位で村中さんが3位その間に自分がいた。タイム差はそれぞれ2から3分差。
ランは戦前の松本充さん情報によるとOK崎さんが来るとの話でしたので後ろが気に
なりペースは落とせなかった。それが功を奏したのか集中してまずまずのペースを維
持出来た。ランの後半の折り返し箇所でレースNo.を確認しながら走ると自分の前に
は誰もいないようだ。3年ぶり3回目のハワイが近いと思うと、さらにアドレナリンがわ
いてくるような感じする。
ゴールするとウイットさんのアナウンスが年代別1位である事を告げている。
「やったー!」と心の中で大きく叫び、感激の拳を突き上げた。滅多にないパフォーマ
ンスをしている自分に驚いた。
アワードの表彰台で2位の稲葉さんからn倉さんと小生をマークしていたと聞かされた
時は、嬉しいような恥ずかしいような。
アワード終了後、金沢まで3時間運転して深夜にもどりましたが全く眠くならなかった。
宮古島とは異なる勝利に酔い、興奮から冷めていないからでしょう。次のレースは7
月22日の七尾湾岸トライアスロン(51.5)と9月の佐渡島Aタイプ。10月のハワイを考え
るとどのような調整がベストか判りませんが、後3カ月間もう一度原点に戻り練習に励
めれば悔いはないのだが。
(大会開催日:2012・6・24)
これぞ旅の醍醐味だな。そして14時30分発ののぞみ168号に乗り、17時に東京駅へと戻ってきた。
2016年5月4日(水)~5日(木)、ゴールデンウィーク後半、今日と明日は大阪へ。1971年から続いている(一時中断していたらしいが)イベント「祝春一番」を観るためだ。以前から「素晴らしいイベントだよ~♪」という話は聞いていたのだけど、ゴールデンウィークは家に引きこもるタイプなので、なかなか行けずにいた。だけど今年は意を決して、初めて参加することにしたのだ。イベントは11時から始まるというので、がんばって9時発の新幹線に乗ることにした。ところが中央線が遅れていて総武線で行く羽目になり、急遽9時20分発に時間変更。いきなり波瀾の幕開けとなったけど、無事に大阪に向けて出発。12時前には新大阪駅に到着。まずはホテルへ荷物を預けようと梅田駅へ向かう。今夜の宿は、梅田駅からちょっと歩いた曾根崎「ザ・ホテルノース大阪」。ちょっと怪しい外観にビビったけど、なんてことはない普通のホテル(当たり前か・・・)。まだ12時半なのでチェックイン出来ないかと思ったけど、大丈夫だというのでひとまず部屋へ。そうは言ってもそんなにのんびりしているわけにも行かず、ソッコーで部屋を出る。だけどお腹が空いていたので、近所の「満マル」という店でビールと串カツを食べる。30分ほどでおひらきにして、電車に乗って緑地公園駅へ。そして14時前には、会場の服部緑地野外音楽堂に到着。ライブは18時半ごろすべて終了。みんなで梅田へと移動して、「北海道料理 弁天別館」という店で打ち上げ。総勢11人。いつも会う人、久しぶりに会う人、二度目に会う人、みんな楽しい音楽仲間。なんだかんだとおしゃべりしつつ、美味しい料理とお酒をいただく。23時前におひらきにして、そのまま「FRIDAYS」という店で二次会。閉店のため2時前にはおひらきにして、そのまま歩いてホテルへ戻る。ちょっと呑みなおそうと思ったけど、そのままあっさりと眠りにつく。
5日、大阪の朝、意味もなく6時半に起床。予定では10時20分の新幹線で帰らなければならない。ゴールデンウィーク最終日という事で、その時間しかチケットが取れなかったからね。念のためチケット予約サイトを確認すると、午後の新幹線にも空きが出ている。こいつはラッキー!と、14時半の新幹線に予約変更。これでゆっくり昼飯でも喰って帰れる。しかし・・・なんとなく釈然としない。うーん、やっぱり今日も「祝春一番」を観に行きたい。だって、もともとはその予定だったんだもの。明日出勤だからあきらめたのだけどさ。ということで再度予約を19時50分発に変更。よーし、これであとは会場に向かうだけだ。だけどやっぱり腹ごしらえもしたいということで、10時半にチェックアウトして「横綱」という店へ。こんな時間から・・・だけど、けっこうお客さんが居るところがさすが大阪。負けずにビールと串カツを満喫して、11時半過ぎには電車に乗って会場へと向かう。12時過ぎ、今日もまたやって来ました服部緑地野外音楽堂。ライブは18時30分ごろまで。終演後、服部緑地駅から電車に乗って、新大阪駅まで戻る。19時50分ののぞみに乗るつもりだったので、どこかで一杯やっていこうと思ったのだけれど、どの店も混んでいたので断念。予定を繰り上げて19時30分ののぞみで東京へと戻る。またしても中央線が遅れているというので、品川乗り換えで帰宅。まったく、中央線ってヤツは。。。
2016年9月17日(土)~19日(月)、今週末は三連休、「なにわブルースフェスティバル」を中心とした大阪ツアーへ。東京駅9時20分発の新幹線に乗り込み、12時前には新大阪駅へと到着。そのまま地下鉄でなんばまで出て、お好み焼きでも食べようと店を探す。昼飯の時間帯なのでどこも混んでいるかと思ったけど、法善寺界隈はけっこう空いてる。「本家大たこ」へ入って、もやし酢をつまみながらビールをいただく。そして念願のお好み焼き。お店の人が焼いてくれるほうが、やっぱり嬉しいかな。それから腹ごなしを兼ねて、道頓堀~日本橋をブラブラと歩く。道頓堀はやっぱりおもしろい。歩いているだけで、なんだか気分がウキウキする。日本橋では中古盤屋巡り。「サウンドパック アナログ店」「RUBIC RECORDS」「レコードワン」「サウンドパック 日本橋四丁目店」「DISC J.J.
また、医師からは「手首のじん帯が100%完全に切れている状態」と診断され手術を勧められているがショーを強行した。 ..
こんにちは、小松です。日本で開催される唯一のアイアンマン距離のレースです。
宿泊した旅館の女将さんに「なんで、こんなつらいことするの?レース終ったら、皆脚
が痛いって言いながら階段の上り下りも大変なのに。全く意味がわからない」と言わ
れました。なんで、こんなつらいことをするのか 今回のレースに限って言えば、「意
地」だけで前に進みました。 昨年のアイアンマン世界選手権・今年の宮古島と満足
できる結果を残すことできませんでした。昨年世界選手権に出場した同年代のアスリ
ートは私を除いて皆今年もハワイにチャレンジしております。自分だけが取り残された
ような気がしていました。それを払しょくするには、このアイアンマン距離のレースで最
低限自分自身に納得できるレースをするしかありません。そして、同じエージグループ
ァーに引けを取らない結果を出せれば最高です。意地だけで、「年齢別トップ」と「サブ
」を目標としました。
初めて行きます、長崎・五島。とても残念ですが、滞在期間中レース日以外は大雨で
全く身動きでず、旅館でごろごろしていました。美味しい魚と美しい景色を堪能したか
ったのですが、レース前に外出したのは開会式と分のの試走だけ。レース前
の日間はほとんど運動をしない状況で臨んだことになります。
恒例のカウント。アイアンマン距離とミドルの合計約名の出場者中は約台、そのうちは約台 数年前から比較するとかなり増えてい
ます。も少ないながらも、レース会場で存在感が出てきたました。見た限りこれ
といって強いブランドはないので、の製品優位性からいって我々がやるべきこと
をしっかりやれば、まだまだ日本でもシェア―を伸ばせることは確信できます。
朝時号砲と同時にスタートです。バトルはほとんどありません。すぐに自分の
ペースで泳ぐことができました。でも、普段から回程度の距離しか泳いでいな
いため、を過ぎたあたりから腕が上がらなくなってきました。スピードに乗れてい
ないのがわかりましたが、今後のことを考えてあまりペースを崩さずに冷静に泳ぎま
す。終了時正直相当疲れていました。
さぁ得意のです。ほとんど平坦な区間がない非常にハードなコースです。成績上
位になるためには、後先をあまり考えず突っ込むしかありません。自分の脚はあまり
信じられないけど、相棒のの性能は信じられます。
最初の時間で人はパスしました。でも、それ以降は速い人が多いのでしょうか、
なかなか前方に人が見えません。ターンをする場所があったので、自分の順位を
数えます。恐らく名ちょっと前にいます。差も結構ありました。飛ばしすぎはよくない
とわかっていても追いつくしかありません。普段のロングレース以上の力を脚にこめ
ます。アップダウンがきつく、上りで休もうと悪魔がささやいた瞬間もありました。度
目のターン場所で前には名しかいないことがわかりました。ランのことは考えず
にやるしかありません。たぶん今までで一番脚を使ったレースとなりました。
さて、一番不得意なです。今まで失敗したレースは全てが失敗しています。
ランスタートの時刻は時分、サブまではあと時間分しかありません。キロ
分のペース、今年最後のロングのレースなんだから、脚がぶっつぶれるまでやるし
かありません。覚悟を決めました。ハーフ地点で時間分、脚が相当きているので
恐らくサブは無理だとその場で予想できました。今までなら一気に潰れていたでし
ょうが、今回は意地が勝りました。歩かず、最後まで前を見続けました。
今回全てを出し切りました。今までのレースではレースレポートを書いている時、景色
やコースを思い出すことができたのですが、今回はあまり思い出せません。それほど
精神力・体力の全てを使い果たしました。レース後に夕食をとることさえできませんで
した。こんなことは初めてでした。(ビールはしっかり飲んだけど。。。)
結果です。年齢別で優勝は出来ましたが、サブは達成できませんでした。もしこれ
がアイアンマンの選考会だったら、ハワイにはいけていないでしょう。でも、今現在の
私のの力を出すことができた、それだけで十分です。「意地」は達成できました。
ゴール地点でのガッツポーズをみると、今までのレースで最高の喜びの表現をしてい
るなぁと自分でも思います。年代別ですが初めて表彰式で中央に立ちました。
距離(時間順位通過
今年はロングのレースはこれでおしまいなので、レースのための練習は必要ありま
せん。今日から来年に向けてのトレーニングが出来ます。自分との戦いも楽しかった
ですが、来年は日本最強と言われる年代グル―プのトライアスリートとアイアンマンで
がちんこ勝負を再度挑み、に行きたいと思い表彰台を後にしました。
(大会開催日:2012・6・17)
今年のアイアンマンNZは僕にとっては4年ぶりのアイアンマンでした。
しかも4年前のアイアンマンスイスでは痔の状態が悪く、バイクのハーフでリタイアを
余儀なくされました。それ以降は70.3の第一回ワールド・チャンピオンシップに参加
出来た事もあり、日本人で初めてハワイのワールド・チャンピオンシップと両方を完走
した事に満足し、その後はアイアンマン70.3しか参加していませんでした。
今回は5年ぶりにアイアンマンを完走する事を本当に楽しみにしていたのに中止にな
り、次の日に70.3として開催される事になった時は残念でしょうがありませんでした。
でも、70.3として開催して頂いた事には感謝しています。日本では考えられない英
断だと思います。開催に当たってはいろいろ障害もあったと思いますので、開催でき
たことは快挙だと言っても大げさではないと思います。
話しは前後しますが、昨年はオークランド・ハーフアイアンマンに参加の為にNZに行
きましたが、出発の日の伊丹から成田への飛行機の中で「東北地方で地震が起こり
引き返します」と放送があり、震災が起こったのを知りました。バイクは成田空港にす
でに送っており、空港内には誰も居ないという事で連絡がつかず、次の日に関空から
NZに出発しました。バイクは後で送って貰えると思っていましたが連絡をしても無理と
言われ、結局堀さん宅にお邪魔して観光旅行のみするはめになってしまったので、そ
の際に今年のアイアンマンNZの申し込みを堀さんにして頂きました。
(震災の事の重大性は出発のドタバタでNZでニュースを見るまで判りませんでした)
このような経緯の中で、今年は嫁と宮古島T大会に行く事になっていたので、NZのう
っ憤を晴らすべく頑張って練習をして宮古島大会に臨みましたが、スイムはバトルに
巻き込まれ散々な結果に・・・
焦ってバイクを漕いでいると、ハーフぐらいのきつい登りでリアのシフトワイヤーが切
れてしまって一番重いギアで乗る羽目に!両足が痙攣して来てダンシングも出来な
くなり、ここはリタイア出来ない!押してでも坂を登って完走するぞと自分に言い聞か
せてなんとかバイクを終えましたが、両足が痙攣してバイクを降りたところで立つ事も
出来なくなった。
座り込んで休んでいると少し治まり歩く事が出来ましたが、まともに走れず座り込んで
痙攣が治まるのをまったり、少し走ったりしながらなんとか嫁の待つゴールにたどり着
きました。
途中では「祝還暦」と印刷して貰ったNZアイアンマンのウエアーのおかげで、たくさん
の方に声をかけて頂き感謝しています。ワイヤーが切れてしまったのは自分の手入
れ不足だと思いますが、いつもは自分でワイヤー交換をしていました。
ところが今回は大切な大会前なので一度プロにして貰おうと思って、大阪の箕面の
大手のショップにもって行ったのですが「ワイヤーはアウターごとの交換になりバーテ
ープも交換になるので少なくても2~3日預かりになります」と言われ、腹がたったの
で交換しないまま持って帰ってレースに出てしまいました。
宮古島Tでは結局140km地点のシマノのブースで交換して貰ったのですが、さすが
プロ!3人がかりで2~3分で交換して調整もしてくれました。ショップとえらい違うな・・・
と感謝感激でした。
悪い事ばかり続いていますが、JIC入会を機に新たな気持ちで、またアイアンマンに
挑戦出来ればと思っています。宜しくお願いします。
(大会開催日:2012・3・4)
さん、森口さん、八尾さんに付き合っていただいてい ました。スピードも、まさに ..
普段持ち歩かないカードだから、次回から気をつけないとな。そんなドタバタもありつつ新幹線のホームへのぼると、なんとアブドーラ・ザ・ブッチャーに遭遇!全身黒づくめで、ものすごい存在感。握手してもらおうかと思ったけど、恐れ多くて出来ず。出発までにいろいろあったけどなんとか出発し、味噌カツひつまぶし弁当を食べながら大阪へ。15時27分に新大阪に到着、そのまま地下鉄で梅田へと向かう。今日のライブは17時開場なので、その前にホテルにチェックインしてしまおうと思ったんだけど、なかなかホテルにたどり着けない・・・。大阪駅前や梅田の地下街はいまいちよくわからん。それでもなんとか16時過ぎに今夜のホテル「セカンド・イン梅田」にチェックイン。部屋に荷物を置いて、すぐに会場のShangri-Laへと向かう。ライブは18時20分から20時35分まで。ドリンクのビールを一気に飲み干して、会場をあとにする。お腹も空いたので、阪急梅田駅前あたりで呑み屋を探す。どうもいい感じの店が見当たらず、「がんこ寿司」を見つけて結局そこに落ち着く。ふぐの唐揚、てっさ、握りでくえ、はも、さば・・・
さんが生徒に甘いのは、教師じゃないからだ、というのが定説だが、高志は、あの人 ..
こんにちは、スペシャライズドの小松です。月日(日)に開催された宮古島トライア
スロンのレースレポートをお送りします。今年もトライアスロンシーズン到来です。月
日(日)に開催された宮古島からのスタートとなります。通常私のレースレポートは
結果から書くことないのですが、今回考えることありあえて結果からご紹介します。
距離(km)時間順位通過
合計
昨年度のタイムより約分、順位も位落としています。納得のいく結果ではありま
せんが、昨年月末から開始した宮古島にむけてトレーニングを含めて、振り返って
みたいと思います。
トライアスロンを始めて年になりますが、最初の年は出場するレースの度にタイム・
順位も上がり、練習の成果が如実に出て高いモチベーションも保たれておりました。
ところが、昨年アイアンマン世界選手権に出場しある意味で達成してしまった感があり
、目標を見失ったままとりあえず昨年末トレーニングを開始しました。今年に入っても、
アイアンマンレースにエントリーすることなく、目標を持たないままトレーニングをしてき
たため、心技体全てが昨年を下回っておりました。会社の業績目標もそうですが、非
常にきついが達成可能なぎりぎりなところを目標にしないと、人間努力が中途半端に
なってしまいます。
月の後半、いよいよ宮古島大会が迫り、気づいたらあまり体が絞られていない自分
がいました。春分の日をはさんで連休の休みを貰い合計でバイクラン
の練習を強行しました。バイクトレでヤビツ峠を下っている時、工事中のケーブルカバ
ーにひっかかり大転倒。オーバートレーニングと体のあちこちの打撲で、本来最後の
追い込みをかける時期に日間ほどトレーニングが中途半端となりました。月の前
半は宮古島をキャンセルしようかと思ったくらい、精神的・肉体的に準備が出来ており
ませんでした。結局バイクはレースでなんとか戦えると宣言出来たのは大会の日前、
ランに関しては準備完了とは程遠い状況でした。
ランは、心の問題だけでは解決できない何か技術的な原因があると思います。昨年月には超のバイク練習の直後に本番のレーススピード以上のペースでランのブリックを回重ねており、平日も走をキロ分半を切るペースで何度も走
っていました。でも、今年はブリック練はほとんどとりいれず、キロ分半をきるペース
でのも全く出来なかったのです。昨年はフォームに気をつけて走ることを練習中
も意識しておりましたが、今年はただ走るだけ、きっと肩がこるようなフォームになって
いたのでしょう。心技体バラバラのままで宮古島入りしました。一度専門家にフォーム
を見てもらう必要があるかもしれません。
トレーニング不足は明らかでしたが、昨年調子のよかったこの大会のレース前の行動
を思い返して、その通りに動いていいイメージを沸かせます。朝時号砲と共に一斉に
スタートです。スタート時は曇っておりましたが、暫くすると朝日が雲間から垣間見えて
きます。調子はまあまあ、きっと暑くなるぞと思いながらを終えタイムをみると、ほ
ぼ分、あれ何でこんなに遅いんだろうと、へ。昨年位でしたので、今年のゼッ
ケンはと私のレース番号付近は強い選手ばかりでした。そのため、バイクラックに
はほとんどバイクはなく、正直かなり動揺。
さあ、スペシャライズドの誇る新型トライアスロンバイクの日本デビュー戦です。
あせらず・脚を出来るだけ使わず・ゆったりとしたぺダリングを心掛けます。バイクに
関しては準備が整っていたので不安はありませんでした。手元のサイクルコンピュー
ターで平均時速でを走り切りました。を除いた、純粋
なバイクのスピードだけで計算すると出場者中位。私より早い選手はほとんどプロ
なので、アマチュアではかなりいい順位のはずでは? (バイクだけは)今後のレース
に大いに自信になる結果となりましたが、秘訣の詳細は後ほど。でも、バイクのスピ
ードだけを考えれば位なのに、のを含めた公式順位が位と
いうことは、エリアで人に抜かれているということです。更に調査を進めると
、このレポートで後述するプロ選手と比較すると私のは合計分も多い、
これは馬鹿にならない数字です。
私がのエリアを出て行く時、件のプロ選手がエリアに入っ
てきます。これは相当いい順位だと分かります。エイドステーションで水分と栄養補給
をしっかりして、走り始めます。多分もしないうちに、件のプロの足跡が聞こえて
きました。(ちゃんと振り返って確認したんですよ。)えー!?もう終了?!
びっくりです。宮古島の目標は年代別で表彰台(位)に立つことでした。このプロは同
じ年代、つまり彼に抜かれたら貯金は後一人分しかありません。彼は非常にランが強
い選手です。これはついてくしかありません。キロ分秒ペースです。地点まで
はついていけましたが、このままいったら体が壊れると判断し残念ですがペースを落と
します。練習不足に前半のオーバーペースがのしかかります。急激にペースが落ち脚
の苦痛に顔がゆがみます。折り返し地点で既に時間分、まずいと思いながら脚は
益々動きません。駄目だ駄目だと何回も思いとどまっておりましたが、地点でと
うとう歩き始めました。マラソンレース人生初の歩きです。一度歩き始めると、転落は
アッという間。レースの残りは走っては歩き・歩いては走るの繰り返し。体というより、
心がぼろぼろになりながらゴールしました。
閑話休題、このレポートはスペシャライズドの公式ブログにあるんですよね。の話
しをしなくっちゃ。先ほどにもありましたが、の結果は自分でも信じがたいくらいよ
いものでした。昨年のラップより分秒早くなっています。トップ選手のタイムを
昨年と比較してみると、コンディション的にはほぼ同じ条件と思います。それなら機材
を比較してみましょう。
今年昨年タイムへの影響(個人的見解)
フレーム年モデル年モデル大いにある
コンポちょっとある
前後とも同左同じ
ヘルメットエアロヘルメット用ヘルメットの距離で分短縮効果
があると、どっかの記事で見たこと
タイヤ 前:前後:りびっくりするけど、の方が
後: 転がり抵抗が少ないとの
スペシャライズドの研究結果あり、
その通りだと体感した。
(コンポと以外はスペシャライズド製品)
分秒早くなった要因は色々あると思います。ただ、今年の機材はタイヤのコンビネ
ーションを除いて昨年の世界選手権で使用したものと同じであり、体感的には昨年より
早くなっていると確信しています。今年月に本社のタイヤの開発責任者が来日し、一
般的に細いタイヤの方が抵抗が少なくて速いと信仰されているが、それは間違いでの方が転がり抵抗が少なくトライアスロンでは重量その他のことも考えても総合的に
速いとの説明を受けました。そして、前輪、後輪のコンビネーションがベストで
あるとも。その言葉を信じて、機材を選択したのが大成功! 私は異業種からスペシ
ャライズドに入社しましたが、製品開発に関する情熱には目を見張る物があります。昨
年のアイアンマンの世界選手権ではレース直前に社からスペシャライズドのに
乗り換えたアレキサンダーが大会新記録で優勝し、の名声を大いに高めました。
スペシャライズドの製品は世界のトップアスリートだけではなく、私のような一般アスリ
ートにも絶大な効果を発揮します。
走行中の時間強、回ほど背筋の屈伸運動をしましたが、後はずっと同じエアロ
ポジションで軽く漕いでいました。はぁはぁと息を切らすこともなく。これもスペシャライズ
ドが世界に誇るのおかげです。今回参加されたトライアスリートの方で、バイク
パート中、腰や膝、肩が痛くなったりした方はかなり多いと思います。これはその後に
続くランのパフォーマンスに大いに影響します。はこれらのストレス全てを解決
してくれるでしょう。競技レベルを高めたい方だけでなく、リラックスしてパートを終
えたい方、お勧めです。
応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。ボランティアの皆さま、お疲れ
様でした。アスリートだけでなく皆で楽しむこの大会はすばらしく、来年もこの場所に戻
ることが出来ることを誇りにも思えます。月のバラモンキングに出場します。バラモン
キングでの目標が固まっていませんが、少なくともランは今後につなげる走りをしたい
です。
このレポートを書きあげた時、超人気レースのため抽選となっていた佐渡島トライアス
ロンの落選通知がきました。ランの地力をつけなければならない自分にとって、月以
降レースがないということは基礎からじっくりとトレーニングができるということで、落選
したことは非常にラッキーでした。外的要因が個人のモチベーションにも影響するとい
うことで面白いのですが、今年はゆっくりして、来年再度アイアンマンに挑戦することに
何故か急にモチベーションがあがりました。。。。不思議だなぁ~。
最後までお読み下さりありがとうございます。 ひとつ業務連絡です。 会社と自宅が
引越しました。自転車に乗れる環境ということで、厚木に引っ越します。(これ、かなり
本当の理由です。) 杉並からですと、通勤が非常に不便ですので、自宅を売却して、
とりあえず借家ですが海老名に居をかまえました。こからの人生まさに仕事とトライア
スロンの両立を目指します???
(大会開催日:2012・4・15)
☆kazuさん私も「コブラ」見てました。ちょっと記憶が曖昧だけど。 腕が ..
お正月過ぎに、ぎっくり腰になりまして、一時期NZ大会を諦めかけたのですが、
無事に無事にNZ大会を終え、我が家にたどり着いたことにホッといたしております。
09マレーシア、10コリア、11台湾と海外のレースはこれで4戦目、高鳴る鼓動を
抑えつつ期待と不安が入り混じる今回の旅となりました。
さて、いざ成田からのフライトに、修学旅行でNZを訪れる高校生、パックツアーの
団体客などの日本人などを見ると、この国のどこが不景気なのかな?と思わされ
ましたネ・・・
いよいよいざ現地に入り、下調べでは最高気温25度の最低15度だったのですが、
17度の12度とか15度の10度と、全然イメージしていた南半球じゃありません。
日本で着ていたジャンバーを持ってきてて良かったなーと思いました!
今回はこの3つをやり遂げようと冒険心もかねてのNZ、まず1つ目はもちろんIM
完走!11時間きりが目標! 2つ目はNZ現地での散髪、お任せでどのようなヘ
アースタイルになるのか?・・・ 3つ目は半年前に始めた津軽三味線をNZでいざ
ストリートライブ?・・・
びっくりした事に! 同室のM政氏が持ってこられた五島銘菓「カンコロ餅」をNZ
で食べたこと!遅くなりましが、自身長崎県五島出身、しかも職場はこのカンコロ
餅の商店さんに100mの場所なので・・・ しっかり、帰宅後この事をこの商店さん
にご報告いたしました。もうひとつ、同ツアーに夫妻で参加の方が以前、転勤で長
崎にお住まいの際に、イロイロ私と共通のお知り合いがいることがわかり、本当に
NZでそんなお話をするとも思いませんでした。同ツアーで皆様に仲良くして頂きま
した。
カーボパーティーでの際にマオリ族の舞にも歓喜し宿へ、気を良くして自宅から津
軽三味線を開けると、愕然!・・・上部の糸巻が1つ折れてました。 超過料金対
策のためにソフトケースで運んだため、どこかで重なったのか? ぶつけられたの
か? 仕方ないと気落ちしてたのですが、同室のM政氏からラジオペンチをお借り
して何とか調律し、先ずは1つ目のミッションは成功ということに・・・
次の日、皆さんでコースの下見を行うも、そのまま地元の散髪屋へ、お値段は20
ドル。日本円で1400円程度) 話の種だけなのだからと行ったのだがあっさりと
終とわり、しかも時間は10分! シャンプー髭剃りはなし。なるほど地元・五島の
床屋は1時間位で、マッサージ、コーヒー付なのにネー・・・これで2つ目のミッショ
ンも成功です!
カーボパーティーでの競技説明会で、台風40m級が試合当日に上陸するとの話
で、結局試合を日曜日にずらし、ハーフIMに変更して開催というものでした。
同室のM政氏と日曜日にバンジージャンプを跳びに行くはずだったの・・・残念・・・
日曜日4時起床、もちろん外は真っ暗でしかも寒い。スイムでの冷たさは2日前の
試泳で体験済でしたが、やっぱり冷たかった。しかもかなりの波で、何時もは透き
通るタウポ湖もにごっていて残念・・・タイムも40分くらいかと思ってたが、44分後
半と出足は悪い!
バイクに移り、最初の30分は濡れたままのウェアーでのバイク走行、ホントに寒い。
行きは追い風、帰りは向かい風。 帰りはズーット一人旅走行で、我慢の連続・・・
タイムは3時間ぴったり、2時間45分を目標にしてたので、ここでも出遅れた感が・・・
ランに入ってから、なぜか体は軽い・・・こんなときは途中で撃沈か?と思うも、最
初の10km47分、残りの11kmをなぜか45分で快走!・・・
完走タイムは5;26;40。この前の台湾レースが5;16分だったので更新したかっ
たのですが、今回のレースも何とか満喫できました。
同ツアーで沢山の良い方達と出会えまして、また現地でも色々な楽しいことがあり
ました。 また、日本各地での大会でお会いすることを楽しみに、他の海外レースを
視野に、今後の練習でも頑張れそうです。
同室の政氏、お世話になりました。 感謝いたしております。
皆さんも地元・五島のバラモンキングにも是非ご参加くださいネ!
(大会開催日:2012・3・4)