Pin by DENIM on COBRA | Anime, Cobra art, Animation


作詞・藤子F不二夫 作曲・菊池俊輔 歌・大山のぶ代/こおろぎ'73
「のぶ代ドラえもん」の歌声だけでなく、曲自体も凄く懐かしかったー。「ドラえもん」のテレビアニメが平日夕方に毎日放映されていた頃のオープニングはこれだった。テレビでは曲に合わせて大勢のドラえもんが画面中を歩き回っていたっけ。
背景画像は、タイムマシンに乗るドラえもんの正面画と、のび太とドラえもんが『しゅみの日曜農業セット』というひみつ道具で遊んだり稲作をしたり『もしもボックス』で窓の外の風景を立て続けに変えたりする光景が交互に繰り返され、「ドラえもん」の作品世界を短時間で上手く再現していると思う。
曲は勇ましい感じにアレンジされた伴奏と、力強く楽しそうに歌う「のぶ代ドラえもん」の声が上手く合わさって、いつ聴いても楽しく明るい曲だと思う。他の「ドラえもん」オープニング曲が爽やかさを歌っているのに対し、この曲の明るさや勇壮さは明らかに方向性が違う「ギャグアニメ」向きのもので、「ドラえもんのオープニングにもこんな曲があるんだ」と改めて感じさせてくれる。
そして当時のテレビアニメ同様、この勇壮なオープニングテーマに乗せてタイトル画面となり、物語は幕を開く。

※注記
本考察では、キャラクターの台詞や物語のタイトル等のカギ括弧に「」を使用するが、劇中に登場するドラえもんの「ひみつ道具」の名称は『』で括って区別することにする。


コブラ@昭和プロレステーマ曲研究家(@kokontezangetsu) さんのマンガ一覧, 作品 ..

このサイトはすべての記事にCPネタや二次創作ネタが含まれているので苦手な方はブラウザバックをお願いします
コメント欄での「○○(CP)ネタ嫌い」などのコメントは荒れる元になるので絶対にやめてください
また荒らし、作者叩き、誹謗中傷、強い言葉を使ったキャラ叩き、コピペ、他サイトの名指し、差別、レッテル貼り、売上叩き、他作品の比較dis、ネタバレ、URL張り、ジャンプ掲載順位煽り、記事内容と関係ないdisコメントは削除します
海外の反応記事にある日付と時間は時差の関係でアメリカ時間から13時間前の時間を表示しています
また同じ単語の繰り返すコメントは自動的にスパム判定されコメント規制されてしまうので注意してください(ライナーやボーボボ関係のコメントが特に多いです)
荒らし報告(対象URLか記事タイトルを教えてください)や巻き添え規制(プラグインの誤判定)を受けた方はメールフォームから連絡をください 場所はスマホ版コメント下にあります

ボリウッドを代表する人気俳優シャー・ルク・カーンがタミル語映画界の若手監督アトリとタッグを組んだアクション映画。

インド北部の国境近くの村に、川の上流から瀕死の男が流れ着く。男は老薬師のもとで眠り続けていたが、ある夜、村が軍服姿の男たちに襲撃されると突然目を覚まし、侵入者たちを次々と血祭りに上げていく。30年後、全身に包帯を巻いた謎の男と若い女たちがムンバイの地下鉄を乗っ取り、政府に対して4000億ルピーを要求する。人質となった乗客たちの中には、悪徳武器商人カリの娘アーリヤの姿もあった。カリは多額の身代金を支払い、その金は犯人によって全国70万人の農民の銀行口座に振り込まれる。解放された乗客たちに紛れて姿を消した犯人たちが向かったのは、郊外にある女性刑務所だった。

共演は「ダルバール 復讐人」のナヤンターラー、「PATHAAN パターン」のディーピカー・パードゥコーン、「マスター 先生が来る!」のビジャイ・セードゥパティ。(C)2023 All rights reserved with Red Chillies Entertainments Pvt Lt

#8月になったので自己紹介しようぜ #のび太生誕祭2022 のび太と同じ誕生日です。


本作の上映は1980年3月、私が小学3年から4年に進級するときの春休みのことであった。当時の「ドラえもん」ブームも背景にあり、この映画を見に行こうという話は早くから出ていたと記憶している。そして春休みのある一日、上石神井から自転車に乗って吉祥寺の映画館へ向かった。兄の友達兄妹(その兄妹と私の兄と妹が同級生)と一緒だった記憶がある。ちなみにこれは私にとって前年の「ルパン三世~カリオストロの城」「がんばれ!!タブチくん!!」に続いて、人生史上3番目に映画館で見た映画である。
この年、「ドラえもん」が上映されていた映画館は吉祥寺の表通りではなく裏通りにある小さな映画館で、館内は自分達と同じような家族連れで満席だった。実はこの映画館であるが、中学生位になって初めて知ったのだが普段はポルノ映画などを上映している映画館だったようだ。そして何故か同時上映の「モスラ対ゴジラ」を先に見て、満を持して「ドラえもん」を見た形である。正直言ってこの時のハラハラドキドキ感は忘れない、前年に見た「ルパン三世」が当時の私にとって難しかったのだろう、のび太が繰り広げる大冒険を見て「映画の面白さ」というのをこの作品に教わったと思う。
当時の私はこの作品が非常に気に入り、次の小遣いで「のび太の恐竜」の原作漫画の単行本を買った記憶がある。そしてこれを何度も何度も読み返して、映画で見たときの感動に浸っていたものだ。
「ドラえもん」の映画は翌年の「のび太の宇宙開拓史」までは映画館で見ている。その後は私の兄が中学生になったのを機に、映画館で劇場版「ドラえもん」はしばらく見ていない。「のび太の魔界大冒険」他数作は、テレビ放映されたのを視聴したが、高校生に上がると劇場版「ドラえもん」は見ていない。
その後、劇場版「ドラえもん」を見に行ったのは2006年、5歳になった娘を連れて春休みの映画館に足を運んだ。当時の妻が映画に興味なかったこともあって、随分長い間映画館に行ってなくて映画館自体が久しぶりであった。そこで見たのは本作のリメイクである「のび太の恐竜2006」、この作品は声優陣や作画が変わって三代目となった現「ドラえもん」の制作陣による最初の劇場版である。まだ当時は個人的に「わさびドラえもん」に慣れていなかったが、この後娘にせがまれて2010年まで5作に渡り「ドラえもん」劇場版を見に行くことになり、今はすっかり「わさびドラえもん」に慣れてしまうきっかけとなった。
ちなみに私が最も好きな「ドラえもん」劇場版は、「宇宙開拓史」である。これも機会があったら本サイトで考察したい。


さて、これだけの人気を博した漫画とアニメを、今度は興行界が黙って見ているわけがない。1979年に放映が始まった「ドラえもん」の映画化が決まり、この原作として藤子F不二夫氏の手により始めて長編漫画が描かれた。これが「大長編ドラえもん」の第一作である「のび太の恐竜」である。
「のび太の恐竜」は元々1975年に執筆され、単行本10巻に収録された短編エピソードであった。これをベースに後半部分(恐竜ハンターの登場以降)を加筆して、長編の冒険譚として仕上げたものである。この長編漫画「のび太の恐竜」を映画化したものが今回解説するアニメ劇場版「のび太の恐竜」で、1980年3月に封切りとなると大ヒットした。同時上映は「モスラ対ゴジラ」という怪獣映画のリバイバルである。

「のび太の恐竜」では、いつもの「ドラえもん」と明確な区別を付けたのが特徴である。「ドラえもん」も含む多くの藤子F不二夫作品では子供達の日常生活をベースに、これに一風変わったキャラクターを付け加える事による変化を描いている。もちろんこのような作品のベースには子供達の「日常」をキチンと描き込むことが重要で、「ドラえもん」が「サザエさん」のような日常生活ものに分類されるのはこんな点からだろう。
だが「映画」に求められるものは全く違う。映画館での90分や120分というのは日常生活から脱して非日常を味わう場でなければならず、それが子供達が見る映画であれば「冒険」というのは重要な要素になるのは確かだ。原作者の藤子F不二夫氏はその辺りをよく理解し、長編漫画にしろ劇場版アニメにしろ従来の「ドラえもん」から脱却する必要性を強く感じていたに違いない。それは「のび太の恐竜」という作品を見るとよく伝わってくることである。
そのためにこの「ドラえもん」という作品は一度破壊されたとまで言って良いほど、長編作の組み立てに当たって物語構成や登場人物人物のキャラクター性が再構築されている。
何よりも「冒険譚」として完成させるために主人公・野比のび太がそのまま使えないのは痛い点だと思う。彼が短編の野比のび太であれば、「冒険譚」の主役に最も適さないのは誰もが認めるところであろう。だがここで普段ののび太から大きく脱するわけにも行かない。そこで他のキャラクターの味付けを少し替えるところから始まっている。
まずはジャイアン、彼の人格とそのパワーは普段は悪役であり、「力」が必要な冒険譚では情けないキャラののび太より目立ってしまう可能性が高い。そこで彼は「主人公最大の協力者」として描かれる事となった。「長編のジャイアンはいい奴」となる発端はここである。
次にスネ夫は、普段の「裕福な家庭のお坊ちゃん」というキャラクター性だけ引っ張ってきて、のび太の恐がりな部分や情けない部分を彼に負わせることにした。これでのび太が無理して情けない役や恐がりを演出する必要が無くなる。「長編のスネ夫は情けない奴」となったのはこんな理由だ。
そしてのび太は、普段の漫画で描かれている気は弱いが「人情に厚く」「正義感だけは一人前」という部分を大きくすることにした。これなら多少情けない男でも冒険譚の主役として活用出来るようになる。こうして「長編ののび太はカッコイイ」ということになる…主役だからしょうがない。
そしてドラえもんとしずかはいつも通りを演じさせれば、長編作として冒険が出来るようになる。あとは物語の「きっかけ」さえ掴めれば、上手く話は転がるはずだ。
そしてこれは狙ったのかどうかは解らないが、本作の劇中でキャラクター性の変化が行われた事である。もちろんその理由は前半が通常の短編作品の流用であるためだが、これで観覧者から見ればキャラクター性の変化について「唐突な印象」がなく自然だったのが良い印象を与えたはずだ。のび太の性格の変化についてはのび太が育てた首長竜ピー助の愛情という描かれ方になっていて、とても自然な印象だ。

こうして長編「ドラえもん」の基礎であり、劇場版「ドラえもん」の基本フォーマットを確立したと言っても良い本作を、私独特の視点で考察してみたい。

コブラという生きかた | ガクシンのブログ~札幌市西区の学習塾

国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画44作目で、「映画ドラえもん」シリーズ45周年記念作品。絵の中の世界に飛び込んだドラえもんとのび太たちが、幻の宝石を巡って時空を超えた冒険を繰り広げる。

数十億円の価値がある絵画が発見されたというニュースを横目に、夏休みの宿題である絵に取り組んでいるのび太。そんな彼の前に、突然絵の切れ端が落ちてくる。ひみつ道具「はいりこみライト」を使い、その絵の中に入って探検をしていると、不思議な少女クレアと出会う。彼女の頼みを受けて「アートリア公国」を目指すドラえもんとのび太たちだったが、そこはニュースで話題になっていた絵画に描かれた、中世ヨーロッパの世界だった。その世界には「アートリアブルー」という幻の宝石がどこかに眠っているという。幻の宝石を探すことになったドラえもんとのび太たちだったが、やがてアートリア公国に伝わる世界滅亡の伝説がよみがえってしまい、大ピンチに陥る。

監督は「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い」の寺本幸代。脚本はテレビアニメ「ドラえもん」の脚本を数多く手がけ、映画版はこれが初参加となる伊藤公志が担当。俳優の鈴鹿央士がアートリア公国の美術商人パル役でゲスト声優出演。主題歌はあいみょんが手がけた。

宇宙の一角に浮かぶ惑星ダグザード。ここの砂漠地帯で賞金稼ぎ業に精を出していた重犯罪捕獲人ジェーンと、かつて宇宙にその名をはした海賊コブラが出会った。バツグンのプロポーションを持つ美人のジェーンにひかれたコブラ。そんな二人を宇宙征服をたくらむ悪の組織ギルドの手先が追う。左手に組み込まれたサイコガンで応戦、敵を倒すコブラ。やがて、二人は、コブラの相棒レディの待つ愛船タートル号で宇宙に逃げのびた。甘い二人のラブ・シーン。ジェーンは、実は宇宙を彷徨している死滅したミロス星の女王の末裔だった。この星を蘇らせるためには、ジェーンの三つ子の姉妹、キャサリンとドミニクを捜し出さねばならない。ジェーンはコブラに協力を申し込んだ。なぜなら、この自動推進装置を内臓しているミロス星を使って、ギルドが第七銀河を滅ぼそうとしているのだ。タートル号は、キャサリンが捕えられているラホール星のシド刑務所へ。しかし、キャサリンはギルドの幹部クリスタル・ボーイを愛しており、ジェーンはその裏切りに、コブラに妹ドミニクに会ってくれと言い残して生命をおとした。愛する彼女のことを想うコブラ。雪に埋れたルールジュ星でゲリラの首領サンドラに捕えられたコブラは、そこでドミニクと出会う。彼女は姉と同様に彼を愛するが、クリスタル・ボーイが追って来たのだ。激しい戦闘の中、ゲリラは全滅し、ドミニクも倒れる。ミロス星の推進装置を、残るキャサリンにセットさせないためにも、コブラはミロス星へと向かった。悲しみにくれてる暇はない。やがてミロス星にキャサリンを伴ったクリスタル・ボーイの一行がやってきて、コースをセットする。コブラがクリスタル・ボーイを殺った時は、すでに手遅れだ。ギルドの呪縛のとけたキャサリンが、自己犠牲でもって銀河破壊へと向かうミロス星を爆発させるしかない。「私の姉さんたちが愛した人……コブラ……ステキね」。コブラは静かに微笑み返し、静かにその場を離れるのだった。

「のび太という生きかた」「スネ夫という生き方」が少し前に話題になりましたが、