「コブラ会」シーズン5 過去1泣けた!最悪な悪との闘いで見せる勧善懲悪ストーリーに超感動! 13.
彼らはミヤギ道に対してもダニエルさん個人に対しても特段の恨みがなく、ビジネス面での有望性に惹かれてシルバーの元にやってきただけなので、ヤバイと感じた時点で手を引くと思うんだけど。
人気952位! コブラ会の評価と感想 | Netflixオリジナルドラマ
興味深いのは、もう一人の主人公であるジョニー・ロレンスの物語です。彼は、『ベスト・キッド』でダニエル・ラルーソーをイジメる嫌な奴で、いわば”悪役”でした。『コブラ会』が面白いのが、このジョニー視点でも物語が展開していくところです。
シルバーの評判を落とそうと熱くなるダニエルさんに対して、彼の攻撃を先読みして罠を仕掛けるシルバー。本シーズンはこの展開の繰り返しで軸となるドラマがないので、面白いとは感じなかった。
『コブラ会』シーズン1 感想 | 日々是(ひびこれ)デス・ロード
シーズン2からは、登場人物たちのしょうもない三角関係や、会話や情報伝達が不足によるくだらない誤解による大騒動と悲劇、映画だったらすぐに解決しそうな問題をシーズンの最後まで持ち越してそれでも解決させない……といった、連続ドラマにありがちな欠点も目立ってくる。物語を引き伸ばすために大問題の解決は後まわしにしつづけながら、間を持たせるために小事件は常に起こしつづけなければいけない、という構造上、トラブルメーカーの役割を担わされて観客から嫌われる登場人物が目立ってくるのも、なんというか実にカン・ドラマという感じ。
ホークやトリーもなかなか厄介だが、とくにサムがひどい。男を二股にかける自己中心的な性格をしているのに正論を語り、騒動を起こしてはミゲルやディミトリがケガをする原因を作りつつ、自分はすぐに被害者ぶって周囲の大人から甘やかされる、と視聴者の感情を逆撫でしてばっかりの実にストレスフルなキャターだ。のサジェストで「嫌い」が出てくるのも納得である。
とはいえ、サム、そしてその父親ダニエル・ラルーソーの「偽善」や「独善」が強調されるのは、もともとの『』では「悪役」だったジョニーを主役に据えたこの作品においては必然性のある描写だともいるだろう。
ティ―ンエイジのかわいらしい男の子・女の子やイケメンが多数登場する作品であるが、『会』の最大の魅力は、ジョニー・ロレンスという主人公の造形にある。世間の流行どころかインターネットややパソコンすらまったく使い方を知らない「おバカ」でありながらも、ミゲルやその他のいじめられっ子が立ち上がる武器として空手の技術を教えるだけでなく、彼らが非行にはしりそうになったときにはどうやってモラルを教えて更生させられるかをひとりで考えて悩みながら実行する彼の姿は、実にいじましくて素直で、好感が抱ける。感情表現がヘタであったり言葉足らずであったり直情的で近視眼的であったりするために様々な失敗を犯し、弟子は過去の師匠に奪われて恋愛はまわり道で実の息子のロビーとの関係もうまくいかなくてと失敗続きであるところも、むしろ共感の対象となる。これほど「不器用」なキャターは昨今では珍しい。そしてジョニーの最大の魅力は、「偽善」や「正論」とは無縁であることだ。ダニエルとはちがい、彼がミゲルやロビーに説教をしたり教えを説くときには、その言葉が借りてきたものではなく悩みながら自分の頭で必死に考えたものであることが伝わってくる。世間的な権威や正論とは無縁なジョニーであるからこそ、何十歳も年下の子どもたちと対等の立場からメッセージを発して、それが受け止められるのだ。……まあそのメッセージが間違っていることもあるために余計なトラブルや惨事が起こったりもするのだけれど。
シーズン3における、(ジョニーによる教えが一因ともなりながら)学校での乱闘の果てにケガをして生活を余儀なくされることになったミゲルの「リハビリ」をジョニーが手伝うくだりは、とくに感動的だ。現実にやったら問題になること間違いなしの根性論でスパルタなリハビリによってミゲルが回復する過程にリアリティはまったくなく、「エロ本で(文字通りに)釣って立ち上がらせようとする」場面などのバカバカしさもすごいものだが、ジョニーの善意とそれをミゲルが受け止める様子が実に暖かなのだ。ミゲルが「お返し」をするようにファッションやデートなどについてジョニーにアドするところも好ましい。
ジョニーとミゲルの関係は、論者が喜びそうな「男性同士のケア」関係でもある。しかし、理想的なファンタであることは間違いなくても、彼らの関係性の描かれ方に偽善性や押し付けがましさは不思議とない。ひとつは、先述した通りおバカであり、『』が公開された1980年代からファッションセンスも知識も価値観もほとんどアップデートされておらず、まったく「コレクト」でないジョニーのキャター性によるものだろう。無知であり余計なや思い込みを持たないからこそ、目の前の問題を直視して相手に対して素直に関われて、まわり道をしながらもミゲルを救済したり治癒したりするなどの「正解」にたどり着けるという点では、『』と同じくジョニー・ロレンスもカのの伝統を正しく受け継ぐキャターなのだ。
もうひとつは、「男性同士のケア」を「師弟関係」や通じて描いていることだ。男性同士のケアがありうるとしても、それは友人同士や同輩などの横並び関係ではなく、「メンター/メン」や「先輩/後輩」など「縦」の関係のほうで成立しやすい、というのはよく言われることである。女性は男性と比べて同列の同性に対してはつい張り合ったりマウントをとってしまったりして本音を明かせないが、縦の関係ならその傾向が緩和されて、上の側にいる男も下の側にいる男も本音を打ち明けやすくなる、ということだ。これはわたしも大学時代のサークルや職場のことを思い出すとうなずけるところがあるし、部活をしていた人にも心当たりがあるのではないだろうか。考えてみれば、同じく「男性同士のケア」を描いた『幸せへのまわり道』も基本的には「メンター/メン」という関係であった。そういう点で、ジョニーとミゲルの関係は、バカバカしいファンタでありながらもある種の「リアリティ」を含んでいるといえるのだ。
「空手」という格闘技を題材としており、ンエイジャー同士の喧嘩や乱闘が何度も繰り返される『会』では、必然と「有害な男らしさ」という問題も関わってくる(トリーをはじめとする女子も喧嘩に加わるが、まああんな血の気の多い女の子ってリアルだとほとんどいないし、ストーリーの都合上女子にされているだけで彼女もほとんど男子みたいなものだ)。ジョニーやダニエルやクリースなどの師匠たちも、ミゲルやロビー(やサム)などの準主役の弟子たちもそれぞれに「有害な男らしさ」の問題を抱えているが、とくに印象的なのはホークの扱いだ。彼は、空手を習って暴力を手に入れるだけでなく髪を派手なモヒカンにしたり入れ墨を入れたりするなど全方位に「男らしさ」を獲得することで、いじめられている状況から脱出して周囲を見返して子分とガーンドもゲットするが、こんどはその「男らしさ」が仇となって子分もガーンドも友人も失い、いじめっ子が空手を習ったことでせっかく身に付けた暴力も役に立たなくなってしまう。
……とはいえ、ホークというキャターの顛末には、「男らしさ」は有害であるとともに有益なものであることも示されている。結局のところ、まず彼は「男らしさ」を身に付けていなければ、なにもゲットできないじめられっ子のままでありつづけたのだ。同様の経緯はミゲルもたどっているし、過去にダニエルやジョニーがたどったものであり、これからクリースがたどるものでもあるだろう。要するに、男の子である以上は「男らしさ」に振り回されてもダメだけれど「男らしさ」をまったく持たないわけにもいかない、ということだ。空手を習うなどしながら、中庸に着地させる道を見つけるしかないのである。
『会』においては、アマンダ・ラルーソーやミゲルの母などの「母親」たちは、ダニエルとジョニーの不毛な張り合いや子どもたちの無益な争いからは距離をとったりそれを諫めたりする、賢明さや良識を体現する人物たちとして描かれている(シーズン3でアマンダがクリースにつっかかることでその構図も崩れてしまうけれど)。しかし、ホークがいじめられっ子であった時代の回想シーンで、彼の母親が「いじめを止めてもらうように学校に連絡する」というおそろしく無意味で逆効果な(でも"良識的"ではある)手段をとったように、母親的・女性的な「賢明さ」が男の子の問題を解決する上では無力であることを描いている点も優れている。
男らしさなりマッチョイズムなりの問題は、や論が登場する遥か以前から男として生きる人々には否が応でも気付かされてきたことであり、男性がつくる男性を主人公とした物語のなかでは様々なかたちで描かれつづけてきたことだ。そして、たいていの物事や事象がそうであるように、「男らしさ」には功罪の両方が存在する(同様に、「母性」や「良識」や「ケア」にだって、功罪の両方があるはずなのだ)。物語はそれが良質であればあるほど、「功」と「罪」の両方を見つめて描くことができるものなのである。
というわけで、『会』は人によってはポリコレドラマとして受け止められて、人によってはアンチポリコレドラマとして受け止められているようだ。『マッドマックス:怒りのデスロード』ですら作品であるか否かをめぐって解釈が割れているように、よい物語とは多義的な解釈を許すものである。
日本人や沖縄人がほとんど不在のなか白人男性たちが空手を教えあう設定に対して必然的に出てくる「文化の盗用」という批判を、おバカなジョニーに「なんだそりゃ?」と言わせることでスルーする、という豪胆さはすごい(実際、もともとの『』の時点でありきな作品なんだから、そこを掘り下げても誰も幸せになれない。そういう点ではシーズン3でダニエルが沖縄に行くくだりは余計でしかなかった)。シーズン1の大会で"意識の高い"が少年が被差別者たちのために黙とうするシーンもギャグでしかない。
……とはいえ、反ポリコレな作品であるかというとまったくそうでもない。結局のところ、自分が少年時代に犯したいじめをはじめとする男らしさの「罪」をジョニーに直視させつづけて、ミゲルたちへの指導やクリースとの対峙を通じて彼に「贖罪」をさせることが、この物語の最大のテーマであるためだ。
そして、いじめっ子思想というか、そういったものを肯定する面も少なからず残っていて、例えば、コブラ会入門二人目のセレブな家のおデブちゃんが受けている酷すぎるいじめ(ネットいじめ)に対しても「酷いな!!卑怯だ!!」と言いつつも「昔のいじめはサシでやった!昔のいじめは敬意があった!」とか言っていて(笑)
かっこいい映画、笑える映画、泣ける映画、驚きがある映画が好き。 続きを読む
長らく空手から遠ざかっていたシルバーは、前シーズンにてジョン・クリースに乞われる形で嫌々ながら復帰したのだが、道場で子供たちに稽古をつけていくうちにある野望に目覚め、ついにはコブラ会創始者ジョン・クリースを追い出して自らが道場主となった。
「コブラ会」はダメなオッサンたちの人生の敗者復活戦。シリーズはまだ続くことが発表されている。彼ら(特にダニエル)の今後に注目していきたい。
有吉弘行:始まった途端に、ネットニュースで「コブラ会シーズン3が残念な理由」とか書いてあって。 安田和博:おお(笑)
以前だったら、映画を観ててもそんなことは気にしていなかったのですが、私も『ブックスマート』という映画を観て考えを改めました。嫌な奴に見えても、その人にだって物語があるはずなのです。特に、高校生ともあれば、何かしら悩みもあるはずです。『コブラ会』では、『ベスト・キッド』の”悪役”であり、後に”敗者”となった者の視点がメインにあるのが、新しくて面白い!
『コブラ会』には、ダニエル役のラルフ・マッチオとジョニー役のウィリアム・ザブカなどが、映画と同じ役で出演しています。宮城道雄を演じたパット・モリタは残念ながら2005年に亡くなってしまったのですが、過去の映像の中で登場しています。
しかし「コブラ会」は、単なるオールドファンに向けただけの作品ではなく、むしろ過去の映画シリーズの価値すら昇華させるような1作となっている。
有吉弘行:はい。1、2と見て面白くて、3も楽しみにしてたんですけど、結構早めに始まって。
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「え?そうだったっけ?」とか「え?そうなの?」という点は幾つかあれど、それを吹き飛ばすほどにドラマ性が超面白い。
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(2022年 アメリカ)
『コブラ会』は大好きなシリーズなんだけど、今回はダメだった。コブラ会の道場拡大というビジネス面での摩擦が中心で空手の話ではなくなったし、リアリティの線引きも狂っている。「さっさと警察呼べよ」と何度思ったことか。
『コブラ会』(コブラかい、Cobra Kai)は、2018年から配信されているアメリカのウェブテレビシリーズ。
よって本シーズンでは稽古や試合といったスポーツドラマらしい見せ場はほぼなくなっており、代わりに描かれるのは道場を拡大しようとするコブラ会vsそれを阻止しようとするダニエルさんの攻防戦ということになる。
という感じで、『コブラ会』シーズン1はシーズン2へ続く。
どうしても勝たねばならない勝負に当たり、コブラ会会長 が頼りにしたのが旧友のテリー・シルバー(トーマス・イアン・グリフィス)。
シーズン1、超今更の感想です。
ドラマ『コブラ会』は、1984年の映画『ベスト・キッド』(ジャッキー・チェンの方ではない)の34年後を描く後日譚です。映画版を観ていることを前提にしてはいますが、映画の方のストーリーは単純なので、ここでネタバレありで説明してしまいます。
ドラマ『コブラ会』がベタなのに新感覚で面白い!
(2021年 アメリカ)
そろそろマンネリ化するかと思いきや、中学生のネットイジメなどの新しい要素を追加することで新鮮さを維持しており、相変わらず面白く仕上がっています。あまりに面白いので1日で全話見てしまいました。
『コブラ会』シーズン1 感想 ..
YouTubeで公式無料の2話までを視聴したら、予想の遥か斜め上をいく面白さでした。
コブラ会の評価と感想 ..
「オッサンになって負け組になったジョニーを主人公にした『ベスト・キッド』の続編が出来る」と初めて知った時は思わず噴き出しつつも「こりゃなんか面白くなりそうだ」と期待度が上がりましてね。
コブラ会 シーズン5のがらがらのレビュー・感想・評価
ジョニーはミゲルとロビーを仲直りさせることに奔走。穏便なやり方は全部失敗したので、最後はで強引に仲直りさせます。ミゲルの母カルメンとの交際は順調。妊娠したかもと言われて動揺するジョニー。慣れないGoogle検索で父親としてやるべきことを勉強して、貯金をすべく宅配サービス業等のギグワーカーにもチャレンジ。エピソード5になって主役の二人であるダニエルとジョニーがようやく顔を合わせます。この二人の大人気ない対立や仲直り、またケンカとワチャワチャする展開がこのシリーズの本軸だと思うので、中盤に来てやっとドラマが動き出した印象。コブラ会に残留しつつも、シルバーのことを信じ切っていないトリーが悩みを相談しに行くのが、獄中にいるクリーズ。後半に絡んできそうです。
コブラ会 シーズン6のドラマ情報・感想・評価・動画配信
とここまで色々書いてきましたが、正直全部忘れても良いです。だって『コブラ会』を観れば必ず盛り上がります。どのエピソードは、最高に盛り上がったタイミングで、デデーンとコブラ会の紋章が出てきて終わります。その度に「」とアガるので、とにかく楽しいんです!ごちゃごちゃ言わずに、一回観てみましょう。道場はいつでもあなたを待っています。
『コブラ会』は面白いでしょうか
冒頭、第一作でコブラ会を潰された(というか自業自得で弟子が離れていっただけという側面は強いのですが)クリースが豪邸に泣きつきにいきます。その主の名はテリー・シルバー。
letrou0123のブログ
ミゲルをはじめとする教え子たち、そしてライバルのダニエルや自分のことを憎む息子のロビー、さらには彼の前に再び現れたかつての師匠クリーズなど、様々な人物や自分を縛りつける過去と向き合い、苦悩していくジョニー。マッチョな考え方を180度改めるわけではないが、彼なりの考えを懸命に巡らせ、失敗を繰り返しながらも少しずつ価値観を改めていく、そんな不器用なりに成長していく姿がなんとも心に刺さるのだ。
「コブラ会」シーズン5 エピソード1-5
は大会での敗戦後、約束通りミヤギ道場を解散。ミヤギ道場に勝ったコブラ会は、クリーズを追放してコブラ会を受け継いだが財力にモノを言わせて勢力を拡大していこうとしています。シルバーの動きを怪しんで、ミヤギ道カラテの伝統を守り続けるを沖縄からわざわざ連れてきて助っ人を依頼。チョーゼンはコブラ会に潜入して内側からシルバーの悪事を暴く作戦に出るも、カンタンにバレてしまいます。チョーゼンは活躍するどころか、足を引っ張るだけで、いなくてもいい存在に感じます。そもそも、まだ何も悪いことをしてないシルバーを執拗に敵対視するダニエルの行動が異常だと感じますが、ダニエルがシルバー退治をあきらめた途端、逆にシルバーがダニエルを強襲して、これから事を起こすと宣言。
コブラ会シーズン6:パート2の予告編が公開
2018年からYouTube Premiumで配信されていたドラマ『コブラ会』ですが、今年からNetflixで配信されました。すると、瞬く間に世界中で人気爆発。レビューサイトのIMDbでは10点満点中の8.7を記録し、Rotten Tomatoesではシーズン1が100%フレッシュを獲得するなど、批評面でも評価の高いこのドラマ。何がそれほど人々を惹きつけるのか?『コブラ会』の魅力に迫ります。ネタバレなし。
『コブラ会』最終シーズンが変則的な3部構成になった
自分探しのためにメキシコで父を探す。そのミゲルを探しに行くと息子の。ジョニー父子にとってはにもなりました。ミゲルはと会うことができますが、想像してたんと違う人物像にガッカリ。結局、後を追ったジョニーに慰められてミゲルは帰国。空手大会で敗北を決して落ち込むには冷却期間を置こうと言われて、おとなしく過ごす時間が続きます。コブラ会を脱会したは継続中。ロビーは(コブラ会に残留した)との恋人関係は継続中。コブラ会とミヤギ道場のメンバーの対立構造は変わらず、夏休みのプールで一触即発となってトリーとホーク(ジェイコブ・バートランド)がループスライダー対決をするなんていうティーンドラマらしい展開も。この二人は私生活でラブラブとのこと。