シェルビー・コブラ・デイトナ・クーペ(Photography: Michael Furman)


グリーンライト スティーブ・マックイーン コレクション 1968 フォード マスタング GT ファストバック Unrestored 1:18


ジョニーライトニング 1999 フォード マスタング GT シルバーメタリック 1:64

ウォルター ウルフ レーシング ジャパンでは、シェルビー・クーペやパンテーラGr.4のほかにフォード・モデルT・ロードスターピック(ピックアップトラック)ベースのTバケットやモデルAロードスターなども展示された。

今回、アメフェスに姿を見せた02874は、パンテーラGr.4としては最終生産車であり、1973年のジュネーブモーターショーに出展された過去を持ち、製造された8台の中で唯一モータースポーツに参戦歴のないマシンだ。Gr.4としてのスペックを持ちながらロードゴーイングカーとして仕立てられており、過去ナンバープレートが付けられていたこともある。WWRJは同車に徹底的なレストアを施しており、新車のコンディションを今に残すパンテーラGr.4だ。そうした意味でも貴重な存在である。

ジョニーライトニング 1999 フォード マスタング GT シルバーメタリック 1:64

8台作られたパンテーラGr.4のシャシー番号は、02860、02858、02859、02861、02862、02872、02873、02874で、02874を除いてルマン24時間耐久レースやスパ・フランコルシャン1000km、ジロ・デ・イタリア、モンツァ1000kmなどの国際格式のモータースポーツに投入されている。

ボディは幅広タイヤに合わせて大きく張り出したオーバーフェンダーを装着。アルミ製のドア、フロントリッド、エンジンカバー、フレア状のグラスファイバーホイールアーチなどの改良が加えられた。また、サイドウインドウなどにはプレキシガラスが使用され、軽量化のためシャシーは肉抜き加工が施されている。また、前後バンパーは取り外され、代わりにリップスポイラーが取り付けられている。

ハイウェイ61 1976 シボレー Gシリーズ バン オレンジ/カスタムグラフィックス 1:18

ダブルウィッシュボーンサスペンションは設計を大幅に変更し、フロント10J&リヤ13Jのカンパニョーロ製ホイール&幅広タイヤを装着するために、コニの車高調整式サスペンションを採用している。ブレーキはガーリング製の大径ベンチレーテッドディスクに換装され、ステアリングラックをクィックレシオ化することで制動力とハンドリングを大幅に向上させている。

エンジンはフォード社が供給を拒否したことから社外のレーシングエンジンコンストラクターだったバド・ムーアに依頼。フォードのレーシングユニット・クリーブランド5.7L V8エンジンをベースに、特注のアルミニウム ヘッド、TRW鍛造ピストン、大容量オイルパン、チタンバルブを装備した。キャブレターは当初はホーリー製1150CFM4バレルキャブレターを1基備えていたが、のちにウェバー製2連キャブレター×4に換装された。その結果、最高出力は市販バージョンの178ps増しの508psとなった。

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このパンテーラGr.3をベースに、FIAグループ4(特殊グランドツーリングカー:500台以上生産した2座席以上のクローズドボディ車)規定に基づいて同じ年に製造されたのがパンテーラGr.4で、製造はフェラーリのレーシングカー製造に経験を持つ英国人エンジニアのマイク・パークスが担当した。

今日はデスビやオイルフィルターなどの補器類、小物パーツの作り方を紹介します。
デスビ(プラグコードの元締め)はモノグラムのキットのモールドが秀逸だったので、キャップの凸部の中央に0.3mmの穴を開けました。
アルミを旋盤で削り出した下半分のパーツと合体させ、全体を艦底色で塗ってから、面相筆で拭き取って銀色の部分を露出させます。
エンジンの左側面、斜め下の方向に付いているオイルフィルターは、キットのモールドが気持ち小さかったので、同じく旋盤で直径2.0mmのパーツを削り出しました。
プライマー→オフホワイトで塗装した後、それっぽいジャンクのデカールを貼ります。硬くて曲面に馴染ませにくい場合、TRONのタイヤレター用の超強力軟化剤を水で薄めて使うといいです(濃すぎると下地の塗膜が溶けるリスクがありますが、流し込み式の接着剤を塗るよりは安全でしょう)。
この小さいのはおそらくイグニッションコイル。真鍮から削り出してアオバの黒染め液で染めた後、綿棒で乾拭きして鈍い光沢を出しました。
作ったパーツを仮組みしてバランスを確かめます。あとはオルタネーターのパーツを塗って、プーリーにベルトを付け足せばエンジンらしく見えるでしょうか?
小物パーツと同時進行で、エンジン本体を載せる台座のほうも考えないといけません。今回は直径の異なる2種類の洋白線を組み合わせて作ることにしました。
方眼紙の上にで仮止めし、歪まないように真鍮ブロックで重しを乗せた状態で半田付けします。こんなときは出力の大きい半田コテがあると作業が楽です。


グリーンライト MECHANIC'S CORNER #2 Chevron ビンテージ ガスステーション 1:64

1965年にデイトナ2000km、セブリング12時間耐久などに出場したゼッケン12号車のマシン

グリーンライト 1970 ダッジ チャレンジャー R/T 「バニシング・ポイント」 ホワイト 1:18

1970年代に少年時代を過ごし、あの「スーパーカーブーム」の洗礼を受けた人なら、デ・トマソ・パンテーラという存在には特別な感慨があるはずだ。そして、古くからの『OPTION』読者の方にはゲーリー・アラン・光永の名前とともに国内で初めて300km/hの壁を超えたマシンとして、この車名が胸に刻まれていることだろう。

グリーンライト 1981 シボレー YENKO カマロ Z28 Turbo Z ブラック 1:18

まだ制作中で色も塗られていない工場内のモデル。このクーペの写真を見て、あれ? と思った人はさすが。このマシンはシェルビーの手によってコンプリートされた唯一のディトナコブラで、他のモデルはすべてイタリアのカロッツェリア・グランドスポーツの作品である

グリーンライト 1981 シボレー YENKO カマロ Z28 Turbo Z ブルー 1:18

こうした希少なクラシックカーの場合、車両固有のヒストリーとその裏付けとなるシャシー番号によって金銭的な価値は決まるものだが、それらはあくまでも売買する際の価値基準であり、この車両の持つパフォーマンスや美しさ、魅力と言った「クルマが備えた本来の価値」を何ら毀損するものではないことを付け加えておく。これほどの貴重なマシンを間近でじっくり見ることができたのはまさに行幸であった。

ジョニーライトニング 1970 ダッジ チャレンジャー R/T 映画「バニシング・ポイント」 1:64

じつは2022年夏にこのクルマはアメリカのオートオークションに出品されており、出品目録にあった写真と展示車を見比べると、車体に入ったゼッケン番号以外はまったく同一の車両であった。おそらくは展示車両はこのオークションで落札されたか、落札後にオーナーから購入した上で日本に輸入したのだろう。

グリーンライト 1967 シェルビー GT500 ホワイト/ブルーストライプ 1:18

一方、CSX2601のエクステリアはCSX2300と極めて良く似ているものの、それでもボンネットサイドのエアアウトレットの形状やサイドエグゾーストの形状、ラジエターエアインテークの形状、電装品、フェンダーアーチ開口部の大きさ、リアスポイラーに開口部のあるなし、ウインドシールドワイパーのレイアウトといった部分に微妙な違いが垣間見える。現状は1965年度のレイム仕様である。

スーパフォーマンス製『シェルビー・デイトナ・クーペ』を取材しました。 ↓以下はスーパフォーマンスの公式HPからの転載です。

後日、資料を漁ったことで謎は解けた。この車両のシャシー番号はおそらくはCSX2469だろう。その出自は1990年代前半にオリジナルのコブラ・ロードスターをベースにシェルビー・デイトナ・クーペへと改造された車両のようだ。ただし、製造はキャロル・シェルビーの監修の元、彼のパートナーであり、コブラの専門家でもあるマイク・マクラスキーが手掛けている。どうやらシェルビーが自分用に作ったマシンらしい。

1/24 グンゼ改造 シェルビーコブラデイトナクーペ 製作開始

CSX2300の現状のカラーリングは1965年度シーブリング12時間レース時のものである。このレースでCSX2300はGTクラス3位に入った。その後この個体は1966年に日本に持ち込まれ1970年代半ばまで日本国内にあった。

グンゼのデイトナコブラを久しぶりに手に入れました。高校生くらいの頃、新製品で買って作ったキットです。ヤフオクで購入しました。

翌1965年はワークスカーとしてガーズマン・ブルーのシェルビーアメリカンカラーに塗られ、2月のデイトナで総合6位入賞。3月のセブリングでも13位完走を果たした。ル・マンは欠席し、1965年はニュルブルクリンクに出場している(この時は12位)。

日野サムライプロトやコブラデイトナクーペのデザイナー北米日産のレース活動もやってた人当時は知 ..


ちなみにコブラ・デイトナ・クーペには大きく分けてシェルビー・アメリカン自身の手で製作されたプロトタイプと、それをベースにイタリアの「グランスポルト」で製作された二号車以下六号車までの2タイプが存在している。今回写真で紹介している♯12はグランスポルト製二号車のCSX2300、♯26は同じく三号車のCSX2601である。

1964年から1965年の2年間にわたり作られたデイトナクーペは、289の ..

シェルビー・コブラ・デイトナクーペは1965年の半ばまでに合計6台が生産され、完成した個体から実戦へと投入されていった。空力的に洗練された新しいボディを得たシェルビー・コブラは、依然として強力なライバルであり同じくさらに洗練されたボディを得ていたフェラーリGTOを相手に大健闘を見せた。そしてついに1965年度の世界耐久選手権においてGTクラス・チャンピオンの座に輝いたのである。アメリカンメイドのスポーツカーが世界一に。多くのアメリカ人レースカービルダーの夢が現実のものとなった瞬間だった。

GT7 シェルビー コブラ デイトナクーペ 1964 ラグナ・セカ PS4

ボディ素材はアルミニウム合金。最初の個体であるCSX2287は、シェルビー・アメリカンのファクトリーが市販コブラの量産で手狭となっていたことから、同じロサンゼルス市内にあったディーン・ムーンのファクトリーとその生産設備を借りて製作された。そしてもともと量産する必要もなかったことから、2台目以降はこの手のアルミボディの製作に長けていたイタリアのカロッツェリア、「グランスポルト」に外注に出されることとなった。

シェルビー・コブラ“デイトナ”クーペ, HW:ザ・ナインティーズ 96ポルシェ・カレラ, HW:ザ・ナインティーズ 90アキュラNSX

ちなみに当時のFIA/CSIルールでは、基本メカニズムを共用さえしていればボディ形状の違うモデルであっても同一のホモロゲの元に量産規定台数のカウントに含まれるとされており、この項目を有効活用するためにはコブラの既存シャシーコンポーネンツをそのまま流用する必要があった。

【検証】コブラ対決!デイトナクーペvsコブラ427!【GTSport】

だが、今回アメフェスに展示された車両はいずれのシャシー番号でもない。展示車両の細部をよく検分すると、後年スーパーパフォーマンス社が製造したレプリカではないようだが、1960年代にレースで活躍した車両とは細部の意匠が異なる。WWRJのスタッフに尋ねると「本物」との答えが返ってきた。これは一体どう言うことだろうか?