――ザ・コブラは、新日本プロレスのジョージ高野さんが、海外遠征中の1983年夏にカナダのカルガリーで変身したマスクマンですね。 ..
コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃、マスクを脱ぐと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。 改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きる。試合も期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピール、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
コブラ~ アントーニオ本多 vs サンティーノ・マレラSpecial ..
この日の「ドラディション」では第4試合に昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がダイビングセントーンでタイガーを抑え、勝利した。コブラは1983年11月3日に新日本マットに出現。NWAとWWFのジュニア2冠に輝くなど85年6月まで斉藤、越中詩郎、高田延彦らと戦いを繰り広げた。
初代タイガーマスク、突然の引退の後、期待感MAXで登場したのが、このザ・コブラ。デビュー戦である、1983年11月3日の蔵前国技館の対ザ・バンビート(デイビーボーイ・スミス)戦では、人気マスクマンのマスクを被った黒子に担がれて、このテーマ曲でカッコよく入場してきたまでは良かったが、肝心の試合は、ほとんどダイジェストで、このBGMが流れ続けた。自分は、カッコいいマスクマンだと思ったし、テーマ曲も気に入ったし、もっと人気が出ると思ったが、初代タイガーマスクの幻影の影響か、ブレイクできずに素顔のジョージ高野に戻ってしまった。このテーマ曲は、当時から大好きだったので、ブラックタイガーの「フットボール・ファイト」とともに、シングルレコードまで購入していた。
画像: ザ・コブラ選手【KONDOU製・着用マスク(直筆サイン入
試合後、コブラはいつ以来の試合かと問われると「長い時間が経っていますね。確かゼロワンの福岡のボウリング場があるところ以来」と振り返り、2002年8月24日、ゼロワンの博多スターレーン大会以来、約16年ぶりの復活だったことを明かした。久々のリングに「尊敬する先輩みなさんのリングなんで私もとても光栄に感じております。これからの課題として、藤波さん、そして、ここのリングに参加する方々が努力してさらにお客さんをたくさん呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り先輩のお役に立てれば光栄かなと考えております」とレスラーとは思えない丁寧な口調で言葉をかみしめていた。
ジョージ高野(ジョージたかの / George Takano、1958年6月23日 - )は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。本名:高野 讓治(たかの じょうじ)。福岡県北九州市出身。ザ・コブラ(The Cobra)のリングネームで覆面レスラーとしても活躍した。大相撲時代の四股名は高野(たかの)。プロレスラーの高野拳磁は弟、全日本プロレスに短期間在籍した高野直樹は従兄弟。
ザ・コブラ選手【KONDOU製・着用マスク(直筆サイン入)】(2018イベントver.) ..
昭和の新日本プロレスのジュニア戦線で活躍した覆面レスラー、ザ・コブラが復活した。新日時代は宿敵だったヒロ斉藤(56)とタッグを組んでブラック・タイガー、KENSO(43)と対戦。試合は斉藤がタイガーを抑え、勝利した。
ジョージ高野(ザ・コブラ)の試合情報をご紹介します。試合のチケット情報や関連画像、動画、記事など、様々な情報コンテンツをお届けします。
【新日本プロレス 技図鑑】コブラツイスト / 成田 蓮 #shorts
久々の復活を飾ったコブラは「ファンの声援がうれしかった」と声を弾ませた。ジュニア時代の体重99キロから大幅に増量した肉体だったが、エプロンからのダイビングボディアタックなど得意の空中殺法を披露した。試合後は「尊敬する藤波さんのリングなんで光栄に感じております」と感謝。「プロレスしかできない男なんで、プロレスに人生をかけてきた」と自らを評し「これからの課題として、ここのリングに参加する方々が努力してお客さんを呼べる団体になっていただきたい。そのために私もできる限り力を出せれば光栄。さらにご声援をいただけるように成長していきたい」と掲げていた。
レスラーとしての活動を「私は常にプロレスラーですから。いつもコンディションは整えています」と断言した。その一方で「建築関係の仕事をしています」と明かし、現在の住まいを「この前は北海道とか」と不明な部分はあったが、仕事については「北海道から九州までいろんなところに行っています」と充実している日々をうかがわせていた。
【ライガー道場】プロレス技は本当に痛いのか検証!コブラ、卍固め
コブラに目を付けた新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退。しかし尊敬する猪木の説得もあって帰国を決意、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけていた。
ザ・コブラのプロフィール・画像・写真 | WEBザテレビジョン
コブラの正体はカルガリーマットで修行していたジョージ高野で、コブラはヒールのマスクマンとしてダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスらと抗争を展開していた。昭和58年8月にアントニオ猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブルース・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本が初代タイガーマスクの突然の引退で大揺れだったことを知る由はなかった。
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1984年2月9日 新日本プロレス 大阪府立体育会館
小林邦昭vsザ・コブラ!
かつて新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、ジョージ高野(59)を20日、「ドラディション」後楽園ホール大会で取材した。
昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。(この試合は新日本プロレスワールドで視聴できます)
《ビンテージ年代物》ザ・コブラ by OJISAN / 山崎製 #2
それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷してしまう。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻るとスミスはミサイルキックをを狙うが、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗、しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠け、技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。
悲劇のマスクマン「ザ・コブラ」〜1983-86 新日本プロレス ジョージ高野
ジョージは大相撲を廃業し、1976年に新日本に入門。190センチ近い長身と甘いマスクで将来を嘱望された。メキシコからカナダへ海外武者修行を行い、あの「ムーンサルトプレス」を初めて披露したレスラーとしても知られている。しばらく、その名前と活躍は成りを潜めたが86年7月のシリーズで突如、登場し89年にはスーパーストロングマシンとのタッグ「烈風隊」でIWGPタッグ王座を獲得した。中堅レスラーとして重要なポジションにいたが、90年4月に大手眼鏡販売チェーン「メガネスーパー」が母体となる新団体「SWS」へ移籍し、弟の高野拳磁らと共に「パライストラ」を結成し道場主となった。
コブラ@昭和プロレステーマ曲研究家(@kokontezangetsu) さんのマンガ一覧, 作品数:91作品, フォロワー数:3382名.
ジョージ高野とザ・コブラ。2人とも味わい深い愛すべきプロレスラーだった。(記者コラム・福留 崇広)
初代タイガーマスク、突然の引退の後、期待感MAXで登場したのが、このザ・コブラ。 ..
試合前、リングサイドで関係者と話をしていた時だった。ジョージが通路を歩いていた。往年の名レスラーの近況を聞こうと取材を願い出ると快く受けてくれた。「久々の試合ですから緊張しますね。どうなりますか」と真っ先に口にした。しかし、この日の対戦カードに「ジョージ高野」の名前はラインアップされていなかった。「果たしてどこで試合に出るのか?」。まさに素顔を見たような気がして私の胸の鼓動は高鳴った。
燃えるオリーブオイルアントーニオ本多と、ごんぎつね(*1)VSコブラという日米ドリームマッチを実現させた。 ..
試合終盤、棚橋がザックにドラゴンスクリューを決めて反撃の狼煙を上げると、続けてスリングブレイドを狙った。しかしザックが巧みに切り返し、コブラツイストで棚橋を捕獲。最終的にはザックがザックドライバーで棚橋を仕留め、試合は決着した。
しかしザックが巧みに切り返し、コブラツイストで棚橋を捕獲。最終 ..
仕切り直しも小林さんの奇襲で開始、3分と待たずマスク剥ぎにかかる!
コブラ、溜めの無いツームストンからダイビングヘッドを繰り出すもやっぱりアストロ自爆!
そしてトペ返しのアストロ宇宙飛翔猛虎ドロップを慣行!が、やっぱり距離が足らず頭打ってしまうアストロダメージ!
かわいそうだが応援したくなるコブラ!
☆(昭和59年)・1・6 後楽園ザ・コブラvs小林 邦昭コブラの先制攻撃で試合スタート。 ..
かつて新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー、ジョージ高野(59)を20日、「ドラディション」後楽園ホール大会で取材した。
ザ・コブラ復活の大ハッスル「またリングに立たせてもらって感謝」
第4試合では、ザ・コブラが久々にリングに登場しヒロ斎藤とタッグを結成。KENSO&ブラック・タイガー組に往年のパワーファイトを見せつけ、最後はヒロ斎藤がダイビングセントーンを投下し勝利した。
覆面レスラー「ザ・コブラ」をGoogle検索したら衝撃の結果が
(参考資料 双葉社「逆説のプロレスVol.17『取材拒否』新日本プロレスワールド コブラvsスミスは新日本プロレスワールドにて視聴できます)
コブラツイスト #プロレス · オリジナル楽曲 - うる聖やつら - ⚡️うる聖やつら⚡️
試合後にザ・コブラは「尊敬する先輩のリングにあがれて光栄。ファンの声援をもっといただけるように良い試合して頑張っていきたい。ヒロ斎藤のおかげでコブラとして活躍できるようになったので感謝してる。メキシコではタッグを組んでいた。私はプロレスしかできないので、今後も戦っていきたい。コブラとしてこれから伸びる後輩たちの糧になれればと思っています」とコメントした。